雲仙岳(読み)うんぜんだけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

雲仙岳
うんぜんだけ

長崎県南東部,島原半島中部にある火山群の総称。活火山で,常時観測火山温泉岳とも書く。普賢岳(1359m),国見岳(1347m),妙見岳(1333m)などからなる。「温泉岳」として国の特別名勝に指定。西には絹笠山(879m),北西には九千部岳(1062m)があり,絹笠山と普賢岳との間の標高約 700mの小盆地に雲仙温泉,キャンプ場,ゴルフ場がある。国見岳から九千部岳の山腹を経て田代原にいたる観光道路,仁田峠から妙見岳にいたるロープウェーがある。周辺は春のツツジ(ミヤマキリシマ),冬の霧氷など四季を通じて観光客に親しまれ,雲仙天草国立公園の中心をなしている。有史以来数回の大規模な噴火があり,溶岩を流出している。寛政4(1792)年の噴火では山体崩壊が起こり,日本史上最大規模の火山災害となった(→雲仙岳眉山崩壊)。1990年11月,普賢岳で噴火が始まり,1991年6月3日には大規模な火砕流により 43人が死亡,数千世帯が避難を余儀なくされた。1996年6月3日に噴火終息宣言が出されるまで雲仙島原一帯に火砕流,土石流などの被害が続いた。噴火により山頂付近に溶岩円頂丘が形成され,島原市小浜町が 1996年平成新山と名づけた。

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知恵蔵の解説

雲仙岳

島原半島の活火山。その普賢岳山頂部から、1990年11月17日に土砂混じりの水蒸気が出始め、91年5月20日に溶岩の噴出が始まった。溶岩は流動性の悪いデイサイト質で、火口付近に溶岩ドームを形成した。ドームが成長する過程で、溶岩の一部が斜面を崩落して、頻繁に火砕流を生んだ。火砕流は、最初普賢岳の東側斜面で発生し、同年6月3日には火口から4km流下し、島原市上木場(かみこば)町で取材や観測にあたっていた報道関係者、外国人火山学者など43人の命を奪った。その後、火砕流は普賢岳の北東側、北側にも発生し、93年6月にも同市千本木で死者1人を出した。溶岩は95年2月半ばに噴出を停止。溶岩ドーム(平成新山)の最高点は旧山頂の高さを約100m以上も上回って海抜1486mに達し、溶岩の総噴出量は2億立方メートルと見積もられる。

(井田喜明 東京大学名誉教授 / 2007年)

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デジタル大辞泉の解説

うんぜん‐だけ【雲仙岳】

島原半島中央部の活火山群。複式火山群で、最高峰平成新山の標高1483メートル。ミヤマキリシマ霧氷がみられる。「温泉(うんぜん)岳」とも書き、また肥前風土記には「高来峰(たかぎみね)」と記されている。寛政4年(1792)に起こった大規模な噴火は「島原大変肥後迷惑」とよばれる。また平成2年(1990)11月から平成8年(1996)にかけても噴火、平成新山を形成した。

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百科事典マイペディアの解説

雲仙岳【うんぜんだけ】

長崎県島原半島中央部の安山岩からなる複合活火山。特別名勝。主峰普賢岳(標高1359m),平成新山(1483m)を中心に妙見岳(1333m),国見岳(1347m),九千部(くせんぶ)岳,絹笠山など多くの山体からなる。雲仙温泉や霧氷とツツジの美で知られ,雲仙天草国立公園の中心をなす。野岳と妙見岳の鞍部(あんぶ)仁田峠から妙見岳にロープウェーが通じる。普賢岳は1990年から噴火,1991年に大規模火砕流が発生し,43人の犠牲者を出す大惨事となった。1990年から1995年の噴火で普賢岳東端から東斜面にかけて溶岩円頂丘が形成され,平成新山と命名された。
→関連項目愛野[町]小浜[町]火砕流島原[市]島原半島

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世界大百科事典 第2版の解説

うんぜんだけ【雲仙岳】

長崎県島原半島の主部を占める活火山。古くは温泉岳とも書かれ,この呼称で特別名勝に指定されている。主峰普賢岳(標高1359m),平成新山(1486m)を中心に,国見岳(1347m),野岳(1142m),九千部((くせんぶ))岳(1062m),絹笠山などの多くの山体からなる複合火山で,これらを取り巻いて広大な裾野が発達している。火山景観を主とする豊かな観光資源に恵まれ,中央部は雲仙天草国立公園に属する。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔長崎県〕雲仙岳(うんぜんだけ)


長崎県島原(しまばら)半島中央部に噴出した複式火山群の総称。主峰の普賢(ふげん)岳(標高1359m)を中心に周辺の国見(くにみ)岳・妙見(みょうけん)岳一帯をよぶ。広義には北の九千部(くせんぶ)岳・鳥甲(とりかぶと)山、南の高岩(たかいわ)山も含める。雲仙天草(あまくさ)国立公園に属し、温泉(うんぜん)岳として特別名勝に指定されている。古くから女人禁制の霊山。江戸時代初期にはキリシタン弾圧の舞台の一つともなった。この山の自然はシーボルトらの紹介で世界に知られる。主峰の普賢岳は有史以来、たびたび噴火を繰り返し、1990年(平成2)に始まった火山活動でできた溶岩円頂丘(ようがんえんちょうきゅう)の平成新山は標高1483mで、山群の最高峰となった。1991年6月3日には大火砕流が発生、報道関係者・地元消防団員・警察官・研究者など43名の死者・不明者を出した。温泉の存在は古くから知られていたが、雲仙温泉古湯の開湯は江戸時代で、新湯は明治期に外国人向け保養地として開発された。1934年(昭和9)3月、日本最初の国立公園の一つに指定された。溶岩の風穴、冬季の霧氷ほか四季を通じて自然美に恵まれる。イヌツゲ・ミヤマキリシマなどが群生。普賢岳では落葉広葉樹林が見事。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

雲仙岳
うんぜんだけ

長崎県島原半島(しまばらはんとう)の中央部にある火山群の総称。西日本火山帯に属する。古くは温泉岳(うんぜんだけ)とも書かれた。富士山とともに国の特別名勝に指定されている。この火山群は、北側の千々石(ちぢわ)断層と、南側の布津(ふつ)、金浜(かなはま)両断層の間にある雲仙地溝内におもに噴出した、デイサイトと安山岩からなる複合火山である。約50万年前に活動を開始し、前期には火砕流やマグマ水蒸気爆発を中心とする噴火がおきていた。その後、溶岩流や溶岩円頂丘(溶岩ドーム)を中心とする噴火活動に移行した。活動の中心は雲仙地溝の西部で始まり、約15万年前からは、東側の、現在の普賢岳(ふげんだけ)の位置に移動した。
 平成新山(後述)の噴火前に記録されていた噴火は、1663年(寛文3)と1792年(寛政4)の2回しかない。1792年には、デイサイト溶岩の流出のあと、強い地震によって東山麓(さんろく)にある古い溶岩ドームである眉山(まゆやま)が大崩壊し、岩屑なだれが有明海(ありあけかい)に突入して津波を引き起こした。この津波によって島原半島内や天草(あまくさ)、肥後(ひご)(熊本県)の沿岸で死者約1万5000人を出し、有史以来、日本最大の火山災害となった。この岩屑なだれによって生じた流れ山によって島原湾内に多くの小島が生じた。これが秩父ヶ浦(ちちぶがうら)から島原港外にかけて散在する九十九島(つくもじま)である。
 1990年(平成2)から始まった噴火では、約4000年ぶりに溶岩ドームを山頂部につくる本格的な噴火活動がおこった。成長中の溶岩ドームが崩れて火砕流(熱雲)が繰り返し発生した。1991年6月3日には、火砕流で43名の犠牲者が出た。1995年2月に終息した火山活動で形成された溶岩ドームは長さ1.8キロメートル、幅0.8キロメートル、高度差約0.4キロメートルの大きさで、平成新山と命名され、国の天然記念物に指定された。
 雲仙岳には平成新山(1483メートル)、普賢岳(1359メートル)、国見岳(くにみだけ)(1347メートル)、妙見岳(みょうけんだけ)(1333メートル)の諸峰があり、妙見岳には仁田(にた)峠からロープウェーが架設され、妙見岳から天草、阿蘇(あそ)、長崎方面への展望はすばらしい。春のツツジ、冬の霧氷の見物も仁田峠―妙見間を核としている。また、これらの山々に自生するミヤマキリシマ、イヌツゲ、シロドウダンは国指定天然記念物。標高約700メートルの地点には温泉地があって、雲仙天草国立公園の観光基地をなしている。2009年(平成21)には、普賢岳を含む島原半島全体が「島原半島ジオパーク」として世界ジオパークに認定された。[石井泰義・諏訪 彰・中田節也]
『西日本新聞社編・刊『'91雲仙岳噴火報道写真集』(1991) ▽長崎新聞社編・刊『鳴動普賢岳雲仙岳噴火写真・記録集』(1992) ▽土質工学会・地盤工学会編・刊『雲仙岳の火山災害――その土質工学的課題をさぐる』(1993) ▽森田敏隆写真『日本の大自然22 雲仙天草国立公園』(1995・毎日新聞社) ▽高橋正樹・小林哲夫著『九州の火山 由布・鶴見岳 九重山 阿蘇山 雲仙岳 霧島山 桜島』(1999・築地書館) ▽朝日新聞社編・刊『週刊続日本百名山29 朝日ビジュアルシリーズ英彦山・由布岳・阿蘇山・大崩山・雲仙岳』(2002)』

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世界大百科事典内の雲仙岳の言及

【島原藩】より

…しかし,74年(安永3)子の忠寛の代に,宇都宮の松平氏と再び交換転封となり,以降島原藩は松平氏7代を経て明治維新を迎えた。 島原に再入封した6代忠恕(ただひろ)の時代,92年(寛政4)雲仙岳が大爆発して被害は肥後,天草にもおよび,藩財政の窮乏を促進した。7代忠馮(ただより)は藩政改革を実施し,三府法(糺司,勘定,米金の三府)によって財政運用の適正化を図る一方,農民永保法(相続方仕法)を施行して農村の救済にあたったが,疲弊した農村は容易に復興しなかった。…

※「雲仙岳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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