古宮村(読み)こみやむら

日本歴史地名大系 「古宮村」の解説

古宮村
こみやむら

[現在地名]播磨町古宮

東本庄ひがしほんじよう村の東に位置し、南は瀬戸内海に面する。東は西二見にしふたみ(現明石市)。摂津住吉神社造営に関する正平九年(一三五四)八月日の住吉社造営用途注進状(住吉松葉大記)によると、古宮は預所六貫八〇〇文・下司三貫二〇〇文・公文三貫二〇〇文・納使六〇〇文・庄役一四貫文を負担している。同注進状には今里いまさと村もみえ、のち当村に含まれたとする説がある。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると田方五七〇石余・畑方一五石余、ほかに住吉大明神社領・松本寺(松元寺)領の一七石がある。


古宮村
ふるみやむら

[現在地名]佐賀関町せき 古宮・金山かなやま

関村の西、佐賀関半島先端の地頸部北側に位置し、北は上浦うわうら湊のある湾に臨む。集落は樅木もみのき山地から北流する古宮川の下流域に開ける。地名は式内社早吸日女はやすいひめ神社が古くは当地内「田刈穂浦」に鎮座していたことに由来するという(豊後国志)。府内から関村へ通じる伊予街道は、篠生しのお峠を下って当村を蛇行しながら有屋ありや峠へと続く。


古宮村
ふるみやむら

[現在地名]大垣市古宮町

揖斐いび川右岸の低地大垣輪中の東部に位置し、北東ひら村、東は馬瀬うまのせ村。初め西馬瀬村といい、馬瀬村の出郷であったという。村名は美濃国神名帳にみえる安八郡従五位下法留岐ふるき明神に由来するという(新撰美濃志)。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に村名がみえ、村高八三〇石。寛永一一年(一六三四)樋口ひぐち新田(のち北の東前村の枝郷となる)、同一六年米野こめの新田が分村したとされるが(新修大垣市史)、正保郷帳には田高一千一〇五石余・畑高七七石余、ほかに樋口新開五〇石・米野新開四二三石と記される。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳では高一千一二石余。


古宮村
ふるみやむら

[現在地名]洲本市安乎町古宮あいがちようふるみや

安乎中田あいがなかた村の北西高倉たかくら(現津名町)の南東麓にあり、津名つな郡に属する。村名は安乎下あいがしも村の八幡社の旧斎宮があることにちなむとされる。正保国絵図に村名がみえ、高二六六石余。天保郷帳では高三一六石余。反別戸数取調書によれば反別二八町三反余、高四二六石余、うち蔵入高五〇石余、三七八石余が稲田筑後ら八名の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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