日本歴史地名大系 「古殿村」の解説 古殿村ふるとのむら 鹿児島県:川辺郡川辺町古殿村[現在地名]川辺町古殿南西流する広瀬(ひろせ)川(万之瀬川)の右岸に位置し、対岸は野崎(のさき)村・両添(りようぞえ)村、西は野間(のま)村。北西端を神殿(こうどの)川が流れる。嘉元四年(一三〇六)四月一四日の千竈時家譲状(千竈文書)によると、時家の女子のひめくまといやくまに「ふるとのゝむら」を二分して譲っている。年未詳七月一〇日の河辺郡知行目録写(長谷場文書)に「古殿之村 十四丁」とみえ、伊集院頼久の知行地となっている。天文八年(一五三九)三月二八日、島津日新(忠良)は軍勢を率いて古殿に向かい、高(たか)城(松尾城)城主鎌田政真を攻めて降伏させている(「島津日新譜」旧記雑録)。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では高六五四石余。 古殿村ふるどのむら 大分県:竹田市古殿村[現在地名]竹田市植木(うえき)挟田(はさだ)川と久住(くじゆう)川の中間に位置する。正保・元禄・天保の各郷帳に村名がみえない。「豊後国志」は橋宇津(はしうづ)村の枝村とする。安永七年(一七七八)の大庄屋・小庄屋・横目一覧(「農民一揆」所収)では西長田(にしながた)村とともに橋宇津村庄屋の兼帯支配。 古殿村ふるとのむら 大分県:大野郡大野町古殿村[現在地名]大野町北園(きたぞの) 古殿北園村の西、向原(むこうばる)川の上流域にある。南西は池在(いけざい)村(現朝地町)。正保郷帳に村名がみえ、田高七五石余・畑高五九石余、一万田(いちまんだ)郷に属し、茅山有と注記される。旧高旧領取調帳では高一五八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by