古渡村(読み)ふるわたりむら

日本歴史地名大系 「古渡村」の解説

古渡村
ふるわたりむら

[現在地名]中区正木まさき伊勢山いせやま平和へいわ金山かなやま町・古渡町・大井おおい町・千代田ちよだ四丁目・たちばな、中川区山王さんのう尾頭橋おとうばし

東は御器所ごきそ(現昭和区)、北は前津小林まえづこばやし村、南は佐屋路に接する。道場法師の出生説話として「日本霊異記」に「阿育知郡片里」、「今昔物語集」に「愛智郡片輪郷」とみえ、「明月記」は昔海潮で岸が没したところとしている。「尾張国地名考」によれば、ほり川に架かる古渡橋の北、山王橋筋東付近の犬見いぬみ堂と山王稲荷の間付近に渡しがあったという。


古渡村
ふつとむら

[現在地名]桜川村古渡

霞ヶ浦に注ぐ小野おの川河口にあり、東は岡飯出おかいいで村。対岸信太古渡しだふつと(現江戸崎町)と区別して東条古渡とうじようふつとともよばれる。応安年間(一三六八―七五)の海夫注文(香取文書)に「ふつとの津一方東条能登入道」とある。慶長八年(一六〇三)丹羽長重が一万石で当地に封じられ、古渡城を築いて支配したが、長重は元和八年(一六二二)陸奥棚倉たなくらに移され、廃城となった(寛政重修諸家譜)


古渡村
ふつとむら

[現在地名]江戸崎町古渡

佐倉さくら村の東南に位置し、霞ヶ浦に突出した台地の東にある。応安年間(一三六八―七五)の海夫注文(香取文書)に「ふつとの津志た 一方小田知行分 一方吉原知行分」とある。応永一八年(一四一一)九月六日の沙弥浄瑞土岐秀成紛失状(円密院文書)には「常陸国信太庄下条佐倉郷古渡之村」とあり、信太しだ庄佐倉郷内にあった。

江戸時代は天領旗本領で、元禄郷帳には信太古渡村として村高五一〇石余とある。幕末は天領九九石余、旗本曲淵氏領二三八石余、馬場氏領一八一石余、円密えんみつ院朱印地一〇石余(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の古渡村の言及

【霞ヶ浦四十八津】より

…平安末期から南北朝期,霞ヶ浦・北浦・利根川の津々の海夫は,香取社に供祭料を貢進,漁猟・交通上の特権を保証され,戦国期から江戸初期には,湖の入会を大原則とする自治組織を形成する。その一,霞ヶ浦四十八津は1625年(寛永2)に設定された水戸藩の玉里(たまり)御留川に対し,入会の原則を固守して頑強に抵抗,1650年(慶安3)漁期・漁具の制限,定例の会合日等の慣習を,南津頭古渡(ふつと)村,北津頭玉造浜村をはじめ津々連判の上,掟書とした。しかし地先占有漁場を求める村々の動きが強まり,入会の原則は徐々に空洞化,1726年(享保11)以後数回の連判も空しく,江戸後期には霞ヶ浦・利根川口の水はけに障害となる漁具を撤去する漁業統制組織に変質,1831年(天保2)幕府の水行直普請(水はけの改修工事)に当たり,その下部組織とされ,衰滅していった。…

※「古渡村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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