岐阜県南部の市。2006年1月旧多治見市が笠原(かさはら)町を編入して成立した。人口11万2595(2010)。
多治見市南東端の旧町。旧土岐郡所属。人口1万1055(2005)。東濃丘陵の中にある小さな盆地に開けた町。周辺の丘陵地帯からは良質の陶土を産出するため,江戸時代から窯業の町として発展し,美濃焼笠原茶わんの産地として知られる。現在も隣接する旧多治見市や土岐市,愛知県瀬戸市とともに陶磁器産業地帯を形成し,特にモザイクタイルの生産が盛んで,国内生産の大半を占め,そのうち約半分を海外に輸出する〈タイルの町〉である。
執筆者:上田 雅子
多治見市の大部分を占める旧市。1940年市制。人口10万3821(2005)。市域は土岐川沿いの平地と美濃三河高原の丘陵地よりなる。蛙目(がえろめ)粘土,木節(きぶし)粘土と呼ばれる良質の陶土を産するため,古くから美濃焼で知られる陶磁器の生産地で,江戸時代には美濃焼物取締所が置かれ,尾張藩の統制を受けていた。明治以降,多治見の陶器商が全国に販路を開拓したことや,鉄道開通以前には陶磁器輸送に木曾川舟運を利用して地の利を得たことなどを背景に陶磁器集散地として発展,〈陶都〉といわれた。現在は旧市の周辺部に多くの工場があり,食器類,各種のタイル,耐火煉瓦,電気器具,工芸品などを生産する。卸売問屋も多く,海外にも輸出する。中央自動車道多治見インターチェンジがあり,中央本線の複線電化や国道19号,248号線など道路網も整備されて名古屋との通勤時間が短縮され,市内の広い丘陵地の宅地化が急速に進んでいる。室町初期の唐様建築で国宝に指定された観音堂,開山堂を有する虎渓山永保寺,正中の変で後醍醐天皇方について殺害された土岐氏の一族多治見国長の屋敷跡,岐阜県陶磁器陳列館(現,岐阜県陶磁資料館)などがある。
執筆者:高橋 百之
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岐阜県南東部、東濃陶磁器生産地帯の中心都市。1940年(昭和15)市制施行。1944年小泉、池田の2村、1951年市之倉(いちのくら)村、笠原(かさはら)町を編入。1952年笠原町を分離。1960年姫路村の一部を編入。2006年(平成18)笠原町を編入。古くからの市街地は、多治見盆地を西流する土岐川(ときがわ)の南岸に開け、中央本線開通(1900)後は駅前を中心に北岸にも広がり、また第二次世界大戦後は中央本線を越えて盆地の北部にも広く拡大した。住宅団地が盆地周辺の丘陵の各地に造成され、中京方面への通勤者が増加している。当市で生産されるおもな陶磁器は、タイルおよびモザイクタイルなどで、市の北東部、土岐川北岸地区において、輸出向けに生産されるものが多い。市の南東部の滝呂(たきろ)などではコーヒー碗(わん)・皿などの洋飲食器、南部の市之倉では盃(さかずき)、割烹和食器など、北東部の高田では徳利、土瓶などが有名。また、当市には大規模な陶磁器流通団地があり、国道19号、248号、中央自動車道などの交通の便もよく、陶磁器商とくにその卸売商の活動が盛んである。当市には虎渓山(こけいざん)永保寺(えいほうじ)、古(こ)虎渓の景勝地、多治見市美濃焼ミュージアム、神言会(しんげんかい)修道院などもある。なかでも永保寺の開山堂・観音堂は禅宗建築の典型で国宝。また、夏の酷暑でも知られ、2007年8月16日に埼玉県熊谷(くまがや)市とともに40.9℃を記録、1933年7月25日に山形市で観測された日本最高気温40.8℃を74年ぶりに更新した。面積91.25平方キロメートル(境界は一部未定)、人口10万6732(2020)。
[上島正徳]
『『多治見市史』全4巻(1976~1987・多治見市)』
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