吉井幸蔵(読み)ヨシイ コウゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「吉井幸蔵」の解説

吉井 幸蔵
ヨシイ コウゾウ


肩書
貴院議員

別名
号=友昌 嘉左衛門

生年月日
安政2年10月(1855年)

学歴
海兵明治14年〕卒

経歴
明治2年私費で英国留学、6年米独英3国に留学を命じられた。14年少尉補より海軍少尉となり、18年中尉に進み、以後比叡分隊長、軍事部出仕、参謀本部海軍部第3局課長を歴任し、海軍大尉となる。ついで西郷海軍大臣に随行して訪欧。24年家督を相続。のち海軍少佐に進み、日清戦争では武蔵副艦長として威海衛攻撃で戦功をあげ、金鵄勲章を受ける。のち侍従武官を経て、30年予備役となり、同年貴族院議員に当選黎明期にあった日本の海軍屈指の国際派として山本権兵衛を助け、海軍力の近代化に尽力した。

没年月日
昭和2年10月7日

家族
父=吉井 友実 息子=吉井 勇(歌人) 吉井 千代田(日本薬史学会常任幹事)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「吉井幸蔵」の解説

吉井 幸蔵
ヨシイ コウゾウ

明治〜昭和期の海軍軍人,伯爵 貴院議員。



生年
安政2年10月(1855年)

没年
昭和2(1927)年10月7日

別名
号=友昌,嘉左衛門

学歴〔年〕
海兵〔明治14年〕卒

経歴
明治2年私費で英国に留学、6年米独英3国に留学を命じられた。14年少尉補より海軍少尉となり、18年中尉に進み、以後比叡分隊長、軍事部出仕、参謀本部海軍部第3局課長を歴任し、海軍大尉となる。ついで西郷海軍大臣に随行して訪欧。24年家督を相続。のち海軍少佐に進み、日清戦争では武蔵副艦長として威海衛攻撃で戦功をあげ、金鵄勲章を受ける。のち侍従武官を経て、30年予備役となり、同年貴族院議員に当選。黎明期にあった日本の海軍屈指の国際派として山本権兵衛を助け、海軍力の近代化に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉井幸蔵」の解説

吉井幸蔵 よしい-こうぞう

1855-1927 明治-大正時代軍人,政治家。
安政2年10月4日生まれ。吉井友実(ともざね)の長男吉井勇の父。欧米に留学。帰国後,海軍兵学校を卒業する。参謀本部員などをへて日清(にっしん)戦争では海軍少佐として武蔵副長。のち侍従武官。明治30年貴族院議員。帝国水産会会長などをつとめた。昭和2年10月7日死去。73歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android