吉岡玉恵(読み)ヨシオカ タマエ

20世紀日本人名事典 「吉岡玉恵」の解説

吉岡 玉恵
ヨシオカ タマエ

昭和期の社会事業家



生年
明治21(1888)年1月21日

没年
昭和29(1954)年4月12日

出生地
高知県吾川郡森山村(現・春野町)

旧姓(旧名)
島田

別名
号=松旭,白女

学歴〔年〕
徳島高等女学校卒

主な受賞名〔年〕
準ヘレン・ケラー賞〔昭和29年〕

経歴
はじめ小学校で教鞭を執った。20歳で歯科医吉岡馬吉と結婚するが、26歳の時に緑内障で完全失明教職を辞して夫とともに韓国へ渡るが、間もなく高知に帰郷した。昭和5年に夫と死別したのち盲学校に入って鍼灸術を修め、吉岡流鍼灸道をあみだして治療に当たる。その傍ら和裁の教授や演劇の指導を行い、筑前琵琶俳句和歌を嗜んだ。24年ヘレン・ケラーの来日に際し、雑誌「婦人世界」に手記「光を踏んで」を投稿して入選。その時の稿料で点字図書を購入して高知県立盲学校に寄贈した。25年から愛盲精神の普及のため、高知県下の各地を巡回。また日赤奉仕団の援助を受けて甘味料を販売し、その売上金を盲学校に寄附

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉岡玉恵」の解説

吉岡玉恵 よしおか-たまえ

1888-1954 昭和時代の社会事業家。
明治21年1月21日生まれ。26歳で失明。夫の死後,鍼灸(しんきゅう)術をおさめ,治療にあたる。昭和24年ヘレン=ケラーの来日時,「婦人世界」に手記「光を踏んで」を発表,原稿料で購入した点字図書を高知県立盲学校に寄贈。愛盲精神の普及につとめた。昭和29年4月12日死去。66歳。高知県出身。徳島高女卒。旧姓は島田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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