吉川満子(読み)ヨシカワ ミツコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉川満子」の解説

吉川 満子
ヨシカワ ミツコ


職業
女優

本名
吉川 マン

生年月日
明治34年 6月21日

出生地
東京市 京橋区銀座(東京都 中央区)

学歴
泰明小〔大正3年〕卒

経歴
大正13年松竹キネマ研究所に入り、14年松竹蒲田入社。五所平之助「奔流」で田中絹代の母役を演じ25歳の若さで初めから老け役。小律安二郎「引越し夫婦」で渡辺篤の相手役、「会社員生活」に斉藤達雄と共演。7年幹部昇進。小津傑作「生れてはみたけれど」で斉藤と映画史上に残る好演。斉藤と共に小津作品名物に。10年「人生のお荷物」「花篭の歌」、11年「一人息子」、その後の代表作「風の中の子供」「子供の四季」に母親役。飯田蝶子岡村文子と並ぶ名脇役として活躍、14年大幹部となった。戦後フリーとなり新東宝「三百六十五度」、松竹「この世の花」、37年「秋津温泉」などに出演、40年引退した。

没年月日
平成3年 8月8日 (1991年)

家族
長男=吉川 悦郎(千葉ファインケミカル社長・元チッソ専務)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吉川満子」の解説

吉川 満子
ヨシカワ ミツコ

大正・昭和期の女優



生年
明治34(1901)年6月21日

没年
平成3(1991)年8月8日

出生地
東京市京橋区銀座4丁目

本名
吉川 マン

学歴〔年〕
泰明小〔大正3年〕卒

経歴
大正13年松竹キネマ研究所に入り、14年松竹蒲田入社。五所平之助「奔流」で田中絹代の母役を演じ25歳の若さで初めから老け役。小律安二郎「引越し夫婦」で渡辺篤の相手役、「会社員生活」に斎藤達雄と共演。7年幹部昇進。小津の傑作「生れてはみたけれど」で斎藤と映画史上に残る好演。斎藤と共に小津作品の名物に。10年「人生のお荷物」「花篭の歌」、11年「一人息子」、その後の代表作「風の中の子供」「子供の四季」に母親役。飯田蝶子、岡村文子と並ぶ名脇役として活躍、14年大幹部となった。戦後フリーとなり新東宝「三百六十五度」、松竹「この世の花」、37年「秋津温泉」などに出演、40年引退した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川満子」の解説

吉川満子 よしかわ-みつこ

1901-1991 大正-昭和時代の女優。
明治34年6月21日生まれ。松竹キネマ研究所をへて,大正14年松竹蒲田にはいる。小津安二郎監督の作品にかかせぬ存在となる。飯田蝶子,岡村文子とともに蒲田映画の脇役女優三羽烏として知られた。代表作に「風の中の子供」「母と子」。昭和40年引退。平成3年8月8日死去。90歳。東京出身。本名はマン。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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