新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉田才治」の解説 吉田 才治(4代目)ヨシダ サイジ 職業文楽人形遣い 本名小倉 大四郎 出身地大阪府 経歴2代吉田新吾の門弟として2代虎造、才吉と名乗り、明治初めに4代才治を襲名。東京で修業し、名手西川伊三郎と並び称され、12年大阪に戻ると初代吉田玉造と両大関と称された。 没年月日(生没年不詳) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田才治」の解説 吉田才治(4代) よしだ-さいじ ?-? 江戸後期-明治時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。2代吉田新吾の門弟。2代虎造,才吉を名のり,のち江戸にでて立者(たてもの)となる。明治のはじめ4代才治を襲名,5代西川伊三郎とならび称された。12年大阪にかえり初代吉田玉造と両大関と称され,稲荷彦六座の座頭(ざがしら)をつとめ,紋下(もんした)となる。明治24-25年ごろ死亡したとされる。本名は小倉大四郎。 吉田才治(初代) よしだ-さいじ ?-1809 江戸時代中期-後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。初代吉田文三郎の門下。大坂竹本座で好評を博し,京都,江戸で活躍後,明和元年大坂にかえり竹本座の重鎮となる。座頭(ざがしら)をつとめ,立役(たちやく),女方,敵役をかねた名人といわれ,初代吉田冠蔵とならび称された。文化6年死去。大坂出身。 吉田才治(2代) よしだ-さいじ ?-? 江戸時代後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。初代吉田才治の子。父について修業し,各座に出演して好評を得,文化9年(1812)2代才治を襲名。文政3年立者(たてもの)として名をたかめ名手といわれたが,天保(てんぽう)3年(1832)以降の活動は不明。前名は吉田才治郎。 吉田才治(3代) よしだ-さいじ ?-? 江戸時代後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。2代吉田才治の門弟。才助,才二をへて3代才治を襲名。嘉永(かえい)(1848-54)のころに活躍した。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by