吉野郷
よしのごう
「和名抄」諸本に訓はない。吉野川の支流滝川中流左岸の沖積平野を中心とする、現勝田郡勝央町吉野付近と考えられる。勝央町域に含まれる滝川左岸の美野から田井の丘陵にかけて、美野高塚古墳(前方後円墳、全長七〇メートル)、美野中塚古墳(前方後方墳、全長四五メートル)、田井高塚古墳(前方後方墳、全長三六メートル)などの首長墓が集中しており、植月寺山古墳(前方後方墳、勝央町)のある対岸の殖月郷域を含め、古墳時代、美作最大の首長勢力の存在した地域である。
吉野郷
よしのごう
現富津市の岩瀬川流域の中・絹・上などの一帯に比定される。建武二年(一三三五)九月二七日の足利尊氏下文(宇都宮文書)に天羽郡内古谷・吉野両郷とみえ、三浦介平高継に勲功の賞として与えられている。
吉野郷
よしのごう
「和名抄」東急本・刊本にみえるが訓はない。高山寺本は当郷の記載を欠く。推定郷域は吉野川中流域の段丘面を中心とする現英田郡作東町山手・五名付近。古代寺院として山手の吉野川右岸段丘上に大海廃寺がある。方一町強の寺域中心部に礎石建ちの塔と金堂が東西に並び、その北に掘立柱建物の講堂、南に掘立柱建物の中門と南門が配置される。
吉野郷
よしのごう
「和名抄」刊本に「与之乃」と訓ずる。「大和志」は「已廃吉野山村御吉野村存」として現吉野町大字吉野山・現黒滝村大字御吉野一帯に比定。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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