向源寺(読み)こうげんじ

日本歴史地名大系 「向源寺」の解説

向源寺
こうげんじ

[現在地名]上田市常磐城二丁目

上田城の北西北国脇往還沿いの西脇にしわき新町しんまちにある浄土真宗の寺。京都東本願寺末。本尊阿弥陀如来。

元和五年(一六一九)八月真田信之が領内の寺社領改めを行った書上(小林文書)には、寺領として「真言宗、三貫文、向源寺」と記される。宝永三年(一七〇六)小県郡西脇枝郷新町指出帳(上田藩村明細帳)には「寺壱ケ所、京大谷本願寺末寺浄土真宗向源寺寺中五百」と記される。

寺宝として蔵する永禄九年(一五六六)閏八月一四日の武田信玄朱印状に「向後於于当寺中不可執陣、若有背此旨輩者、可被言上子細之趣、被仰出候者也、仍如件」とあり、信玄は当時上田原にあった同寺内に陣を取ることを禁じている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「向源寺」の意味・わかりやすい解説

向源寺
こうげんじ

滋賀県北部,長浜市にある真宗大谷派の寺。もとは延暦年間(782~806)に空海が創立した光眼寺という真言宗の寺であったが,のちに天台宗に改宗して向源寺と称し,慶長年間(1596~1615)に教如に帰依して改宗したといわれる。天平8(736)年,聖武天皇の命により,流行した痘瘡をしずめるために僧泰澄が刻んだといわれる十一面観音立像をまつる渡岸寺(どうがんじ)は,元亀1(1570)年織田信長の兵火により焼失したが,観音像はその際村人によって土中に埋められて難を逃れ,向源寺の飛地仏堂に国宝として所蔵されている。

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デジタル大辞泉プラス 「向源寺」の解説

向源寺

滋賀県長浜市高月町にある真宗大谷派の寺院。延暦年間に空海が開創した慈雲山光眼寺という真言宗の寺院が起源と伝わる。飛地境内の渡岸寺観音堂に、国宝・木造十一面観音立像を所蔵する。

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