日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉虞」の意味・わかりやすい解説
呉虞
ごぐ / ウーユイ
(1872―1949)
中国近代の思想家。字(あざな)は又陵(ゆうりょう)。四川(しせん/スーチョワン)省成都(せいと/チョントゥー)の人。1907年(明治40)東京に遊学して近代思想に接し、老荘思想に西洋思想を加えて独自の儒教批判の立場を築くが、成都に帰郷後は清(しん)朝および袁世凱(えんせいがい)政府の弾圧にあって逼塞(ひっそく)していた。1916年雑誌『新青年』に「家族制度こそ専制主義の基礎である」を寄稿したのをはじめ、「儒家が階級制度を主張することの害毒」など痛烈な儒教批判の論文を次々に発表して新文化運動(文学革命)の一翼を担い、「隻手(せきしゅ)で孔家店を打倒した老英雄」(胡適(こてき))と称せられた。その後北京(ペキン)大学教授、四川大学教授を歴任したが、晩年は隠遁生活を送った。著述集に『呉虞文録』(1921)『呉虞文続録別録』(1932)『呉虞日記』(1986)がある。
[丸山松幸 2016年3月18日]