日本歴史地名大系 「和意谷墓所」の解説 和意谷墓所わいだにぼしよ 岡山県:和気郡吉永町和意谷新田和意谷墓所[現在地名]吉永町和意谷標高三〇〇メートルを超す高原上の敦土(あつち)山にある岡山藩主池田家の墓所。池田光政は従来の池田家菩提寺であった京都妙心(みようしん)寺護国(ごこく)院の火災を機に、寛文四年(一六六四)の頃墓所の領国移転を決意。墓所の選定は家臣の津田永忠に命じ、光政自身がその候補地を視察のうえ、当地に決定された。同七年に津田永忠・中村久兵衛を普請総奉行に任じ、墓所造営に着手した。墓石ならびに石柱などの石材は、邑久(おく)郡犬(いぬ)島(現岡山市)から切出された花崗岩で、海路片上(かたかみ)湊(現備前市)へ運ばれ、片上から和意谷までは造成された石引道を利用した。墓所の主体は翌八年に完成し、石垣・石柱・石門が完成したのは同一〇年であった(「和意谷御墓出来之記」池田家文庫)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by