律令(りつりょう)制下の官営事業などにおける国家による労働力編成の方式。雇役(こえき)が法的強制力をもって編成されるのに対し、和雇は「当時当郷庸作之価(ようさくのあたい)」(営繕令計功程条義解(ぎげ))によって法的強制力を伴わず官が雇傭(こよう)することに、両者の性格の違いが求められている。
しかし、雇役は、毎年の差配があらかじめ計画立案され、太政(だいじょう)官に申請したのちに、主計寮で審査、奏聞(そうもん)され(賦役令雇役丁条)、その雇役丁の雇直(こちょく)(雇役の対価)および食が主計寮によって区分・配当される(同令計帳条)恒常的なものであるのに対し、和雇を規定した唯一の令条文である営繕令有所営造条の法意は、和雇が臨時の営造にかかわるものであって、雇役のような手続がとれないことから、先の「当時当郷庸作之価」による営繕労働の組織化を行うとしたものと理解できる。有所営造条集解(しゅうげ)の「依(より)当時庸作之価、雇役之処也」(古記)、「随(したがい)当時庸仕之価、雇役人々耳也」(跡記)と和雇をも「雇役」と解する明法(みょうぼう)家の解釈や、営繕令において、雇役丁の功(1日の仕事の標準量)の一般的規定である計功程条の次に和雇にかかわる有所営造条が置かれていることは、律令国家による両者の労働力編成のあり方に本質的同一性をみることもできる。
実際の労働力徴発の過程においても、雇役が郡司などの在地首長層によって組織化されたのと同様、785年(延暦4)の長岡京造営に際しての「諸国百姓卅一万四千人」の和雇〔『続日本紀(しょくにほんぎ)』延暦(えんりゃく)4年7月癸丑条〕や、具体的な編成条件の知られる正倉院文書中の雇夫・雇工・雇人などの造東大寺司による和雇に際しても、在地首長層の介在による編成を想定することができる。
[加藤友康]
…しかし,大宝令(701制定)で新しく中央の力役として規定された年10日間の歳役(さいえき)は,実際にはすべて代納品である庸(よう)布2丈6尺でおさめることにし,必要な力役は庸の一部を財源として強制的に差発した。これが雇役で,同じ雇傭であっても強制を伴わない和雇(わこ)と区別されている。造営官司である木工寮などが申請し,農閑期は1回に50日,農繁期は30日まで使役できた。…
※「和雇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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