日本古代律令制下の官司機構の一つで民部省の所属。〈かずへのつかさ〉〈かぞふるつかさ〉ともいう。唐名は金部。調・庸・雑物の計納,予算の編成,支出の監査を行う会計官司で,頭(従五位上),助(正六位下),大允(正七位下),少允(従七位上),大属(従八位上),少属(従八位下)の四等官各1人と,算師(2人,従八位下),史生(6人),使部(20人),直丁(2人)とからなる。最も繁忙な官司の一つで,708年(和銅1)には史生が10人に,790年(延暦9)には少允・少属も各2人に増員された。また承和年間(834-848)には寮掌2人が新置され,《延喜式》では史生は11人に増員されたが,使部は10人に減じられている。なお《官職秘抄》には頭・助のうち1人には必ず算博士を兼任させるとあるが,今日知りうる最も早い例は841年に算博士兼主計助となった氷宿禰継麻呂の場合で,それがいつから始まった慣行かは明らかではない。
執筆者:鎌田 元一
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