唯念寺
ゆいねんじ
[現在地名]長野市川中島町上氷鉋
上氷
村長田にあり、参道は北国脇往遷に面している。真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来である。
寺伝によると、和田義盛の長子和田常盛の四男義包の開くところという。義包は承久二年(一二二〇)親鸞の法弟になり善人坊と称した。後、上氷
のこの地に来て庵を結んだ。三世唯円は嘉元三年(一三〇五)覚如から寺号を許され唯念寺を称した。よって唯円を開山とするという。
唯念寺
ゆいねんじ
兜率山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。「木間攫」によれば、行基が建立の四十九院の第一が四十九院村であることから、当寺もこの四十九院にかかわるものと考えられる。初め法相宗、のち天台宗を併せるが、永正三年(一五〇六)実如が道場にしたという(豊郷村史)。元亀元年(一五七〇)当寺二七世巧空は摂津石山本願寺が織田信長に攻められると聞き、門徒二〇〇人を集めて救援に出発、観音寺山(現滋賀県安土町)付近で信長勢に囲まれて討死し、門徒の多くも戦死した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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