四十九院村(読み)しじゆうくいんむら

日本歴史地名大系 「四十九院村」の解説

四十九院村
しじゆうくいんむら

[現在地名]豊郷町四十九院

安食西あんじきにし村・安食南村の東にあり、中山道沿いに長く延びる。中世には中山道の宿場としてみえる。「吾妻鏡」建長四年(一二五二)三月二〇日条に「四十九院御宿」とみえ、新将軍宗尊親王は京都より鎌倉へ下向する途中、当宿で昼食をとっている。建武二年(一三三五)八月、中先代の乱鎮圧のため下向する足利尊氏は三日に当地を通っている(「足利尊氏関東下向宿次・合戦注文」国会図書館所蔵文書)。観応二年(一三五一)八月、弟直義攻撃のため近江に出陣した尊氏は、当地などに陣をとりつつ軍を進めたが(同年一〇月二七日「金子信康軍忠状」毛利文書など)、一〇月には一転して和議を結ぶこととなり、当地にとどまっていたという(園太暦)。しかし交渉は決裂し、関東に逃れた直義を追撃するため尊氏は南朝方と講和して下向した。その隙をついて翌年閏二月南朝方が京都を攻撃、守備に当たっていた足利義詮はいったん近江に逃れ、四十九院宿から京都奪還に向かった(同年五月日「佐竹義景軍忠状写」秋田藩採集文書)


四十九院村
しじゆうくいんむら

[現在地名]山中町四十九院町

さかしも峠に発し、北流して動橋いぶりはし川に合流する四十九院川の流域を村域とする。集落は村域北端部に位置し、南北に長い村域の大部分は標高二〇〇―六〇〇メートルの山地である。西は山中村・下谷しもたに村・菅谷すがたに村。地名はかつて行基が建立した寺があったので、行基の畿内四九寺建立の偉業にちなんで四十九院村としたというが(加賀志徴)、該当するような寺はなく、また寺跡も確認されていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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