喜多源逸(読み)きたげんいつ

精選版 日本国語大辞典 「喜多源逸」の意味・読み・例文・類語

きた‐げんいつ【喜多源逸】

  1. 化学者。工学博士。奈良県出身。東京帝国大学応用化学科卒。京都帝国大学教授、理化学研究所員、浪速大学学長を歴任有機化学の研究を行なう。著に「油脂化学及び試験法」など。学士院会員。明治一六~昭和二七年(一八八三‐一九五二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜多源逸」の意味・わかりやすい解説

喜多源逸
きたげんいつ
(1883―1952)

工業化学者。奈良県に生まれる。第三高等学校を経て東京帝国大学工科大学応用化学科を1906年(明治39)に卒業。1907年同大学講師、1908年助教授、1916年(大正5)京都帝国大学理工科大学助教授に転じ欧米に留学、1922年同大学教授、1943年(昭和18)定年退官した。その間、理化学研究所研究員、京大化学研究所所長を兼務、退官後に浪速(なにわ)大学(現、大阪府立大学)初代学長に就任。京大時代の研究は油脂化学繊維燃料、ゴムなどに及び、ビスコースに関する研究、強力人造繊維製造法、人造石油製造法、アセチレンからの合成ゴム製造に関する研究はとくに著名。著書に『油脂化学及び試験法』(1932)、『最近工業薬品製造法』(1916)、田中芳雄(よしお)(1881―1966)との共著『有機製造工業化学』(1913)その他がある。京大燃料化学科の開設、日本化学繊維研究所の創立に尽力した。

山崎俊雄

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20世紀日本人名事典 「喜多源逸」の解説

喜多 源逸
キタ ゲンイツ

明治〜昭和期の応用化学者 京都帝大教授。



生年
明治16(1883)年4月8日

没年
昭和27(1952)年5月21日

出生地
奈良県

学歴〔年〕
東京帝大工科大学応用化学科〔明治39年〕卒

学位〔年〕
工学博士

経歴
明治41年東大助教授、大正5年京都帝大工科大学助教授に転じ、欧米留学、帰国後京大教授となり、同大化学研究所長に就任、理化学研究所研究員も兼務。昭和14年度、24年度の日本化学会会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多源逸」の解説

喜多源逸 きた-げんいつ

1883-1952 明治-昭和時代の工業化学者。
明治16年4月8日生まれ。母校東京帝大の助教授をへて,大正11年京都帝大教授となり,昭和5年同大化学研究所長。23年浪速大(現大阪府立大)初代学長。燃料,人造繊維,合成ゴムなどの研究で知られ,日本化学会会長をつとめた。昭和27年5月21日死去。69歳。奈良県出身。著作に「油脂化学及試験法」など。

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