喜舎場永珣(読み)キシャバ エイジュン

20世紀日本人名事典 「喜舎場永珣」の解説

喜舎場 永珣
キシャバ エイジュン

明治〜昭和期の郷土史家,民俗学者



生年
明治18(1885)年7月15日

没年
昭和47(1972)年4月2日

出生地
沖縄県八重山・登野城村(現・石垣市)

学歴〔年〕
沖縄師範簡易科〔明治38年〕卒

主な受賞名〔年〕
沖縄タイムス文化賞〔昭和36年〕,柳田國男賞(第10回)〔昭和46年〕

経歴
石垣市で教員となり、明治40年八重山を訪問した伊波普猷の影響で郷土史研究を始めた。大正10年の柳田國男の八重山訪問案内が機縁で、13年「八重山民謡誌」が柳田の「炉辺叢書」の1巻として刊行された。昭和7年教員を辞し、研究生活に入り、14年に八重山郷土研究会を結成。29年「八重山歴史」を出版。本島以外の島々を回って史料収集、古謡採集、45年「八重山古謡」(上下)を出し、46年柳田國男賞を受賞した。60余年、八重山一筋に歴史、民俗、文化を研究し日本の学界に紹介した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜舎場永珣」の意味・わかりやすい解説

喜舎場永珣
きしゃばえいじゅん
(1885―1972)

沖縄研究者。とくに八重山(やえやま)研究の開拓者として知られる。明治18年7月15日、八重山諸島石垣島に生まれる。沖縄県師範学校に学んだのち教師となったが、伊波普猷(いはふゆう)、柳田国男(やなぎたくにお)らの影響もあって郷土研究の必要性を自覚、八重山研究に着手した。1932年(昭和7)には校長の職をなげうって研究に専念し、郷土八重山から一歩も出ずに調査に飛び回った。『八重山歴史』(1954)、『八重山民謡誌』(1968)などの著作があり、大著『八重山古謡』(1970)は71年度柳田国男賞を受賞した。昭和47年4月2日死去。

[高良倉吉]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜舎場永珣」の解説

喜舎場永珣 きしゃば-えいじゅん

1885-1972 明治-昭和時代の郷土史家,民俗学者。
明治18年7月15日生まれ。出身地沖縄県で小学校教師をつとめる。明治39年から八重山諸島の歴史,民俗,古謡の研究に専心。伊波普猷(いは-ふゆう),柳田国男と親交をもつ。昭和46年「八重山古謡」で柳田国男賞。昭和47年4月2日死去。86歳。沖縄県師範卒。著作はほかに「八重山民俗誌」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「喜舎場永珣」の解説

喜舎場 永珣 (きしゃば えいじゅん)

生年月日:1885年7月15日
明治時代-昭和時代の郷土史家;民俗学者
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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