嘉納治兵衛(5代)
没年:明治2.12.30(1870.1.31)
生年:文政4.6.16(1821.7.15)
幕末維新期の酒造業者。灘(兵庫県)の有力な酒造家嘉納家5代。名は尚正。嘉納家の祖は近世初頭,摂津国御影村(兵庫県)の生魚屋治郎太夫。元禄5(1692)年分家して材木屋治兵衛を名乗り,当初材木業を営む。2代治兵衛長好のとき家督を長男治郎右衛門に譲り,長好は末子を連れて分家。両家ともに江戸積酒造業を始めるが,前者が本嘉納家,後者が白嘉納家となる。明和期に屋号を嘉納屋とし,酒造業に専業化して以後急成長をとげ,造石高1万石,10蔵を所有した。 4代治兵衛繹貴が天保12(1841)年49歳で急逝したあと,尚正が弱冠22歳で家督を相続し,明治3(1870)年までの29年間その経営に当たり,家業を盛りたてた。慶応3(1867)年より維新期にかけて兵庫商社世話役,楮幣方御用引替所,兵庫県市政局用達,通商司酒造取締などの要職についた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
嘉納 治兵衛
カノウ ジヘエ
明治〜昭和期の実業家 白鶴酒造会長。
- 生年
- 文久2年1月(1862年)
- 没年
- 昭和26(1951)年1月
- 出生地
- 奈良県
- 別名
- 号=鶴翁
- 経歴
- 奈良の神司中村家の三男で、明治20年「白鶴」酒造元6代治兵衛の長女慶と結婚、22年7代目を襲名。嘉納家6代没後の家政を改革、家業を盛り上げた。茶人であり美術品収集でも有名で、昭和9年白鶴美術館を設立した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
嘉納治兵衛(7代) かのう-じへえ
1862-1951 明治-昭和時代の経営者。
文久2年1月2日生まれ。明治20年兵庫県灘(なだ)の白鶴(はくつる)醸造元嘉納家の長女と結婚,22年7代を襲名する。全国酒造組合連合会会長。昭和9年白鶴美術館を設立。茶人としても知られた。昭和26年1月22日死去。89歳。大和(奈良県)出身。旧姓は中村。名は正久。号は鶴庵,鶴堂。
嘉納治兵衛(5代) かのう-じへえ
1821-1870* 幕末-明治時代の酒造家。
文政4年6月16日生まれ。天保(てんぽう)13年(1842)嘉納家の跡をつぎ,明治のはじめまで経営にあたる。その間,兵庫県市政局用達,通商司酒造取締などの職についた。明治2年12月30日死去。49歳。摂津兎原郡(兵庫県)出身。名は尚正。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
嘉納 治兵衛(5代目) (かのう じへえ)
生年月日:1821年6月16日
江戸時代;明治時代の酒造業者
1870年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の嘉納治兵衛の言及
【コレクション】より
…岩崎弥之助(1851‐1909),小弥太(1879‐1945)は三菱の2代,3代総帥であったが,東洋古陶磁,古画を中心に集め,国宝〈曜変天目茶碗〉や《源氏物語図屛風》(宗達筆)に代表される質の高いコレクションを築き,今日では東京世田谷の静嘉堂文庫に所蔵されている。このほか関西の実業家でも,大阪の藤田伝三郎(1841‐1912),平太郎による《紫式部日記絵巻》や〈曜変天目茶碗〉など古書画,茶道具を中心とする収集(現,藤田美術館),兵庫の酒造家,嘉納治兵衛(1862‐1951)による中国古銅器,古陶磁を主体とする収集(現,白鶴美術館)などが知られる。また,住友家が精選して収集した中国古銅器が住友博古館に蔵され,根津,白鶴,住友の所蔵品を併せると,量質ともに世界でも最も高度な中国古銅器のコレクションとなる。…
※「嘉納治兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」