

(しゅう)+頁(けつ)。
は祝
の器である
(さい)を多く列する形。頁は儀礼のときの礼容を示す。その祈りの声のかまびすしいことをいう。〔説文〕三上に「聲なり。气(き)、頭上より出づ」とあり、頁を首、
を口気と解する。およそ
に従う
(器)・
(ぎん)・
(きよう)などの字は、みな多くの祝告を列して祈ることに関する字で、口気を示すものではない。
と通じ、他人の言を聴かぬさま。
、
ky
また
(叫)・
kyuは声近く、みな祝
の儀礼に関する字。哮・
xeu、吼xo、
hu、號(号)h
も声が近いが、これらは鳥獣の声をいう。
▶・囂
▶・囂外▶・囂虚▶・囂競▶・囂喧▶・囂諠▶・囂呼▶・囂号▶・囂囂▶・囂雑▶・囂訟▶・囂塵▶・囂世▶・囂声▶・囂然▶・囂譟▶・囂俗▶・囂
▶・囂呶▶・囂黷▶・囂
▶・囂煩▶・囂繁▶・囂浮▶・囂氛▶・囂紛▶・囂謗▶・囂務▶・囂妄▶・囂乱▶
囂・
囂・叫囂・軍囂・群囂・喧囂・諠囂・衆囂・塵囂・煩囂・浮囂・氛囂・紛囂出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…大乙は都を亳(はく)(河南省偃師(えんし)県)におき,以後黄河中流域に勢力を保った。しかし前15世紀後半の第10代中丁のときには都を囂(ごう)(河南省鄭州市)に移した。中丁以前を殷前期(代表的遺跡の偃師県二里頭遺跡の名により二里頭期ともいう)とし,以後を中期(鄭州市二里岡遺跡により二里岡期ともいう)とする。…
…城址内の北側の東里路付近では多数の宮殿址が発見され,鄭州殷代故城が殷中期の,前1600年ころの国都であった可能性が強まっている。《史記》や《竹書紀年》によれば,殷10代の王〈仲丁〉は
(ごう)(囂)に都したとあるが,鄭州殷代故城をこの
に比定する説が有力である。古城址の調査とともに住居跡や墳墓,さらに城壁の外には銅器鋳造所,陶器・骨器製造所跡なども発見された。…
※「囂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...