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四条隆蔭 しじょう たかかげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

四条隆蔭 しじょう-たかかげ

1297-1364 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
永仁(えいにん)5年生まれ。四条家の支流西大路隆政の次男。光厳(こうごん)天皇のもとで参議となるが,建武(けんむ)の新政で官位をとめられる。南北朝分裂後,北朝で参議に再任。光厳上皇の院政下で検非違使(けびいしの)別当,権(ごんの)大納言となり,正二位にすすむ。油小路家の祖。貞治(じょうじ)3=正平(しょうへい)19年3月14日死去。68歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

四条隆蔭

没年:貞治3/正平19.3.14(1364.4.16)
生年:永仁5(1297)
鎌倉末・南北朝期の公卿。父は四条家支流西大路隆政。油小路家の祖。元弘1(1331)年後醍醐天皇の討幕計画(元弘の乱)が挫折し光厳天皇が践祚すると蔵人頭となり,同年参議。しかし同3年の後醍醐天皇の帰京により官位を停止されたが,南北朝分裂後は,北朝に属して参議に再任され光厳上皇の信任を厚くし,上皇の院政を支える別当となった。貞和3/正平2(1347)年権大納言。この間,興福寺と対立するところがあり,2度の放氏(氏族からの追放)を経験するがともに許された。貞治3/正平19(1364)年に光厳法皇を戒師として出家,法名歓乗。日記に『隆蔭卿記』がある。

(小森正明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しじょうたかかげ【四条隆蔭】

1297‐1364(永仁5‐正平19∥貞治3)
南北朝時代の公卿。父は隆政。油小路家の祖。持明院統に近く,元弘の乱後1332年(元弘2)従三位参議になったが,翌年,後醍醐天皇の帰還により職を止められた。南北朝分裂後は北朝に属し,37年(延元2∥建武4)従三位権中納言となり,以後右衛門督検非違使別当,権大納言となり49年(正平4∥貞和5)正二位に昇進。64年2月出家,同3月没。【清田 善樹】

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