日本歴史地名大系 「四王寺跡」の解説
四王寺跡
しおうじあと
[現在地名]倉吉市大谷
貞観九年(八六七)新羅に対する海岸防備対策として伯耆など五ヵ国に朝廷から八幅対の四天王像各一組が下された。各国とも地勢が高く賊境を俯瞰できるような高所を選んで堂宇を建てて像を祀り、国分寺その他から練行精進の僧四口を選び、最勝王経四天王護国品により昼は経巻を転じ夜は神呪を誦ずること、春秋二回は別に各七日の修法を行うことが国司に下知された(「三代実録」同年五月二六日条)。
四王寺跡
しわじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報