日本歴史地名大系 「国中神社」の解説 国中神社くになかじんじや 福井県:今立郡今立町北中津山村国中神社[現在地名]今立町国中・中津山行司(ぎようじ)ヶ岳の東麓、国中と中津山(なかつやま)の両区境に鎮座する。「延喜式」神名帳に載る今立(いまだて)郡「国中神社二座」に比定される。祭神は越比古(えひこ)神・越比(えひめ)神・彦火火出見(ひこほほでみ)尊。旧郷社。「越前国名蹟考」は貞享(一六八四―八八)の絵図記を引いて「北中津山の南に国中大明神あり、此所御国四方真中の由」と記し、越前国の中心に位置するため国中と称したという。近世には南北両中津山・西庄境(にししようざかい)・赤坂(あかさか)・新堂(しんどう)の五ヵ村の惣社として崇敬された。 国中神社こくちゆうじんじや 滋賀県:甲賀郡水口町植村国中神社[現在地名]水口町植植(うえ)集落の南、此坪(このつぼ)に鎮座する。江戸時代は植・酒人(さこうど)・泉(いずみ)三村が氏子で、古くは国中宮・国中大明神と称した。旧村社。柏木御厨年貢注進目録(山中文書)の元徳三年(一三三一)分に「国中宮 五反」とある。康正二年(一四五六)二月一六日の酒人国中宮十七講米掟書と、応仁元年(一四六七)七月一日の酒人郷国中宮安居供花掟書(いずれも板書)を所蔵し、十七講と称する講が営まれ、一和尚以下僧により構成されていたこと、国中宮を上宮とし境外社の中宮・下宮があり、それぞれ社僧を置いたことなどが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by