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国枝慎吾 くにえだ しんご

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知恵蔵miniの解説

国枝慎吾

プロ車いすテニス選手。1984年2月21日、千葉県生まれ。身長173センチ、体重62キロ、右利き。9歳で脊髄腫瘍により車いす生活となる。11歳から吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを始め、17歳より現在のコーチである丸山弘道の指導のもと、本格的に競技に取り組む。麗澤大学進学後の2004年、アテネパラリンピックに出場し、ダブルス金メダルを獲得。卒業後は同大学職員としてツアーに参加し、06年10月、初の世界ランキング1位となる。07年には車いすテニス男子シングルスで史上初となるグランドスラム(全豪オープン、日本オープン全英オープン全米オープン4大大会制覇)を達成し、国際テニス連盟より世界チャンピオンに選出された。08年の北京パラリンピックではシングルスで金メダル、ダブルスで銅メダルを獲得。09年よりプロに転向し、以後ユニクロに所属する。13年、全豪オープンの車いすの部で2年ぶり6回目のシングルス・ダブルス2冠を達成。

(2013-1-29)

国枝慎吾

日本のプロ車いすテニス選手。1984年2月21日、千葉県生まれ。173センチ、65キロ。9歳の頃に脊髄腫瘍を発症し車いす生活となる。その2年後にテニスを始め、2004年のアテネパラリンピックでダブルス金メダルを獲得した。06年10月には全米オープンで優勝し、アジア人初となる世界ランキング1位となる。07年には車いすテニス史上初となる年間グランドスラムを達成している。08年の北京パラリンピックでは、シングルス金メダル、ダブルス銅メダルに輝く。09年、車いすテニス選手として日本初となるプロ転向を宣言した。12年のロンドンパラリンピックではシングルスで金メダルを獲得したが、16年のリオパラリンピックでは準々決勝で敗退し、パラリンピック3連覇を逃した。厚生労働大臣賞(07年)、日本テニス協会最優秀選手賞(08年)、スポーツ功労者(14年)など受賞歴多数。16年9月までのグランドスラムでのシングルス優勝回数は計24回で、年間グランドスラムを5回(07年、09年、10年、14年、15年)達成している。

(2016-9-15)

出典|(株)朝日新聞出版発行
(C)Asahi Shimbun Pubications Inc
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

国枝慎吾 くにえだ-しんご

1984- 平成時代の車いすテニス選手。
昭和59年2月21日生まれ。9歳のとき脊髄腫瘍で車いす生活となる。11歳から吉田記念テニス研修センターで車いすテニスをはじめる。のち丸山弘道の指導をうけ,海外ツアーに参加。平成16年アテネ・パラリンピックで斎田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得した。19年には全豪オープン,ジャパンオープン,ウィンブルドン選手権,全米オープンの4大大会のシングルスで優勝し,史上初の年間4大大会制覇を達成した。同年朝日スポーツ賞。20年北京パラリンピックのシングルスで金メダル,ダブルスで銅メダルを獲得。21年全豪オープンの単・複で3連覇,同年全米オープンのシングルスも連覇。24年ロンドンパラリンピックのダブルスは準々決勝で敗れたが,シングルスではパラリンピック史上初の連覇を達成し金メダルを獲得。26年全米オープンのシングルス・ダブルスで優勝。27年全豪オープン,全仏オープンのシングルス・ダブルスで優勝。千葉県出身。麗澤大卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

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