国枝慎吾(読み)クニエダシンゴ

デジタル大辞泉 「国枝慎吾」の意味・読み・例文・類語

くにえだ‐しんご【国枝慎吾】

[1984~ ]車椅子テニス選手。千葉の生まれ。世界ランキングの1位になるなど、車椅子テニスの第一人者として活躍パラリンピックでは、シングルス金メダルを三度獲得。令和4年(2022)のウィンブルドンテニス大会優勝し、ゴールデンスラムを達成した。令和5年(2023)国民栄誉賞受賞。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国枝慎吾」の意味・わかりやすい解説

国枝慎吾
くにえだしんご

[生]1984.2.21. 東京
車いすテニス選手。車いすテニスの四大大会でシングルス 28勝,ダブルス 22勝の史上最多となる通算 50勝を達成するなど,主要な大会をすべて制覇する「年間グランドスラム」に 5度(2007,2009,2010,2014,2015)輝き,パラリンピック競技大会も制覇,2023年3月にパラスポーツ界初となる国民栄誉賞を受賞した。
千葉県柏市で育つ。9歳のとき脊髄腫瘍を発症し,以降車椅子の生活となる。小学校6年生で車いすテニスを習い始め,麗澤高等学校1年生のとき,遠征先で見た車いすテニスの第一人者リッキー・モーリエのプレーに刺激を受けて世界の頂点を目指す。その後,丸山弘道コーチに師事麗澤大学在学中に出場した 2004年アテネ・パラリンピック競技大会の男子ダブルスで齋田悟司と組んで金メダルを獲得。2007年には主要大会の男子シングルスを制し,この種目史上初の「年間グランドスラム」に輝いた。2008年北京パラリンピック競技大会では男子シングルスで自身初の金メダル,ダブルスでも銅メダルを手にした。2009年プロに転向。2012年ロンドン・パラリンピック競技大会の男子シングルスでパラリンピック 2連覇を達成したが,3連覇がかかった 2016年リオデジャネイロ・パラリンピック競技大会では準々決勝で敗退(ダブルスで銅メダル)。大会後,右肘痛のため半年間休養し,復帰後の 2018年に全豪オープン,全仏オープンの四大大会で優勝した。翌 2019年は四大大会のタイトルを逃したものの,自己最多のツアー大会 9勝をあげた。2021年東京パラリンピック競技大会では男子シングルスで 2大会ぶり 3個目の金メダルを獲得。2022年にはウィンブルドン選手権(2016年車いす部門を創設)で悲願の初優勝を遂げ,車いすテニス男子選手初となる「生涯グランドスラム」に,さらにパラリンピック優勝を加えた「生涯ゴールデンスラム」の偉業を達成した。2023年1月に世界ランキング 1位のまま現役引退。2007年朝日スポーツ賞,2021年紫綬褒章,2022年日本プロスポーツ大賞殊勲賞・NHK賞など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国枝慎吾」の解説

国枝慎吾 くにえだ-しんご

1984- 平成時代の車いすテニス選手。
昭和59年2月21日生まれ。9歳のとき脊髄腫瘍で車いす生活となる。11歳から吉田記念テニス研修センターで車いすテニスをはじめる。のち丸山弘道の指導をうけ,海外ツアーに参加。平成16年アテネ・パラリンピックで斎田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得した。19年には全豪オープン,ジャパンオープン,ウィンブルドン選手権,全米オープンの4大大会のシングルスで優勝し,史上初の年間4大大会制覇を達成した。同年朝日スポーツ賞。20年北京パラリンピックのシングルスで金メダル,ダブルスで銅メダルを獲得。21年全豪オープンの単・複で3連覇,同年全米オープンのシングルスも連覇。24年ロンドンパラリンピックのダブルスは準々決勝で敗れたが,シングルスではパラリンピック史上初の連覇を達成し金メダルを獲得。26年全米オープンのシングルス・ダブルスで優勝。27年全豪オープン,全仏オープンのシングルス・ダブルスで優勝。千葉県出身。麗澤大卒。

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