国衙村(読み)こくがむら

日本歴史地名大系 「国衙村」の解説

国衙村
こくがむら

[現在地名]御坂町国衙

かね川扇状地の扇端に位置し、北は成田なりた村。地名は古代の国府役所である国衙があったことに由来するという(甲斐国志)。貞治三年(一三六四)一二月一一日の弾正忠業朝寄進状(一蓮寺文書)に「一蓮寺領国衙」とみえ、前々代の目代方より拝領した当地を甲斐目代弾正忠業朝は崇信する一蓮いちれん(現甲府市)に寄進している。元亀三年(一五七二)六月三日、細工奉行の賞として地内の市川宮内左衛門尉分五貫文が斎木助三右衛門尉に与えられた(「武田家印判状写」斎木家文書)。天正一〇年(一五八二)には国衙分三貫文が一蓮寺に(同年六月二六日「徳川家寺領書立」一蓮寺文書)、一貫六〇〇文が武藤嘉左衛門尉に(同年一一月二七日「徳川家康印判状」武藤文書)、地内と平井ひらい(現石和町)の五二貫文が曲淵彦助正吉に(同年一二月七日「徳川家康印判状写」記録御用所本古文書)、それぞれ安堵された。


国衙村
こくがむら

[現在地名]三原町神代国衙じんだいこくが

地頭方じとほう村の南にある。村域は南東から北西に向かって細長く、東部諭鶴羽ゆづるは山系に続く山地で、西部は平地。北部を越良こえら川が、南部を牛内うしうち川が北西流する。村名は「国ケ」とも記される(正保国絵図など)。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録に「ゑなみこくか」とみえ、榎列えなみとともで八七九石が羽柴秀吉の蔵入地となっている。なかやま本村ほんむら西にし沖田おきだの五傍示があった。


国衙村
こくがむら

[現在地名]松井田町国衙

関東山地北端部より東へ延びる細野ほその丘陵の先端部に位置する。九十九つくも川とその支流増田ますだ川に挟まれた台地端の南側と、九十九川右岸地域で構成される。下辻しもつじには横穴式石室を有する前方後円墳を含む古墳群があり、台地一帯には縄文時代以降の土器の散布がみられる。東山道が郷原ごうばら(現安中市)より当村の名山なやまを経て村の中央を東西に通り、呼坂よばつさかから高梨子たかなし村へと通じていたと考えられる。国衙の地名から、当地に上野国衙または国衙領の存在を考える説や、古代碓氷郡石馬こくま(和名抄)にあてる説もある。碓氷郡に属し、「寛文朱印留」に「国衝村」とみえ、安中藩領。寛文郷帳では田方一一九石余・畑方一二六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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