国指定史跡ガイド 「国見山廃寺跡」の解説
くにみさんはいじあと【国見山廃寺跡】
岩手県北上市稲瀬町にある平安時代の寺院跡。大規模な山岳寺院としては日本最北。国見山のふもとにある内門岡(うちかどおか)集落に国見山極楽寺があり、それを囲む丘陵上に立地する。1936年(昭和11)に道路改修工事で瓦片が出土し、1963年(昭和38)から5年間行った発掘調査の結果、塔跡、七間堂跡、三間堂跡が確認され、『日本文徳天皇実録』の857年(天安1)の条にある定額寺(じょうがくじ)・陸奥国極楽寺に比定された。その後の調査でさらに新たな遺構、遺物が発見され、寺院全体の概要が把握されている。2004年(平成16)に国指定史跡になった。国見山神社周辺とホドヤマ地区に古代の遺構が集中している。9世紀後半からの掘立柱建物と、10世紀後半から11世紀にかけての礎石建物が見られる。この時期が寺の最盛期と考えられ、周辺に廃寺跡がいくつかある。中心的な仏堂である七間堂建物のほか、ホドヤマ地区には多重塔や須弥壇をともなう三間堂の遺構が見られる。鬼瓦、軒瓦、道具瓦、仏像の土製螺髪(らほつ)、八稜鏡(はちりょうきょう)などが出土。現在の極楽寺に伝わり、重要文化財に指定されている平安後期の銅製の錫杖頭1点および龍頭4点も関連したものと考えられている。南方約10kmの位置に胆沢(いさわ)城があり、これを守るような格好になっている。はっきりした記録はないが、その後、寺院の中心は集落の方へ移転し、現在の極楽寺に継続され現在にいたっている。JR東北新幹線ほか北上駅から岩手県交通バス「宝刀山」下車、徒歩約10分。