園部秀雄(読み)ソノベ ヒデオ

20世紀日本人名事典 「園部秀雄」の解説

園部 秀雄
ソノベ ヒデオ

明治〜昭和期の薙刀術師範 薙刀術範士。



生年
明治3年3月18日(1870年)

没年
昭和38(1963)年9月29日

出生地
陸前国玉造郡上ノ目村(宮城県岩出川町)

旧姓(旧名)
日下

別名
幼名=たりた

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和37年〕

経歴
仙台藩士の娘として生まれる。明治19年仙台で行われた元講武所師範・佐竹鑑柳斎の撃剣興行を見物し、その夫人で直心影流薙刀術・佐竹茂雄の技芸感銘を受け、17歳で入門。21年茂雄から薙刀術の免許を授かり、次いで21歳の時には鑑柳斎から印可を受けて秀雄に改名した。29年神戸光武館館主の武道家・園部正利と結婚。夫の道場や姫路師範学校などで薙刀を講じ、薙刀の技や精神を取り入れた新しい武道教育で注目された。また、32年の第一回武徳大会では参加者中唯一の女性武芸者ながら優勝を果たし、その後6回連続で優勝。大正7年に上京し、東京成蹊女学校・女子商業学校・女子学習院などに出講した。15年大日本武徳会から薙刀術範士の称号を授けられ、昭和12年には直心影流の薙刀道場修徳館を設立、薙刀教員の養成にも力を尽くした。戦後も全日本薙刀連盟会長を務めるなど活躍し、37年には紫綬褒章を受章

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「園部秀雄」の意味・わかりやすい解説

園部秀雄
そのべひでお
(1870―1963)

現代女子薙刀(なぎなた)の大先達の1人。旧仙台藩士の家に生まれ、17歳のとき宮城県古川(現大崎市)で撃剣興行を見、座長夫人佐竹茂雄(さたけしげお)の薙刀に魅せられて入門、3年後には早くも印可を許され、一座花形として活躍し、1896年(明治29)直心柳影(じきしんりゅうえい)流(のち直心影(じきしんかげ)流)の宗家を継承した。その後1926年(大正15)には大日本武徳会薙刀術範士に推挙された。このころから薙刀が一部女学校の体育教材に加えられると、単身上京してその普及に尽力した。

[渡邉一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「園部秀雄」の解説

園部秀雄 そのべ-ひでお

1870-1963 明治-昭和時代の武道家。
明治3年3月18日生まれ。仙台藩士日下(くさか)陽三郎の6女。明治19年仙台の撃剣興行で,直心影(じきしんかげ)流佐竹茂雄の薙刀(なぎなた)術に魅せられて入門。印可をえて秀雄の名をあたえられる。29年武道家園部正利と結婚。成蹊(せいけい)高女などで薙刀をおしえた。薙刀術範士。昭和38年9月29日死去。93歳。陸前玉造郡(宮城県)出身。幼名はたりた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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