土居原町(読み)どいはらまち

日本歴史地名大系 「土居原町」の解説

土居原町
どいはらまち

[現在地名]富山市土居原町・鹿島町かしまちよう一―二丁目・桃井町もものいちよう一―二丁目・磯部町いそべまち二丁目

長居ながい町の北、御坊ごぼう町の西に位置し、西側には御用屋敷がある。町名堀端ほりばた町とともに前田氏入部以前の富山城にかかわるともいわれる。散地のうち。安永八年(一七七九)の本家数三一・貸家数五三で、五丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)


土居原町
どいはらまち

[現在地名]小松市土居原町・日の出町ひのでまち一―四丁目

ひがし町の東にあり、並行する二本の南北通りからなる。東は八日市ようかいち町地方。東方の一筋は長さ四町四三間、西方の一筋は長さ三町五五間、いずれも幅一間三尺(皇国地誌)。町名はかけはし川などによる洪水を防ぐため、町の東方に堤防が築かれていたので、土居のある野原の意からという(小松市史)。慶長年間(一五九六―一六一五)は土居原村であったという(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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