土屋光春(読み)ツチヤ ミツハル

20世紀日本人名事典 「土屋光春」の解説

土屋 光春
ツチヤ ミツハル

明治・大正期の陸軍大将,男爵



生年
嘉永1年8月26日(1848年)

没年
大正9(1920)年11月17日

出生地
三河国岡崎(愛知県)

旧姓(旧名)
渡利

学歴〔年〕
大阪陸軍兵学寮卒

経歴
岡崎藩士・渡利家の四男として生まれ、のち同藩の土屋家の養子となる。明治5年陸軍少尉に任官佐賀の乱、西南戦争従軍、日清戦争では大本営参謀を務めた。近衛歩兵第1師団長を経て、日露戦争では第11師団長として出征し旅順攻撃に参加したが、重傷を負って一時内地に後送された。38年第14師団長として再び出征。40年戦功により男爵を授けられた。43年大将に昇進、同年予備役に編入。のち帝国軍人後援会副会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土屋光春」の解説

土屋光春 つちや-みつはる

1848-1920 明治時代の軍人。
嘉永(かえい)元年8月26日生まれ。佐賀の乱,西南戦争に従軍し,日清(にっしん)戦争では大本営参謀。日露戦争では第十一師団長として旅順戦で重傷を負う。明治43年陸軍大将。のち帝国軍人後援会副会長。男爵。大正9年11月17日死去。73歳。三河(愛知県)出身本姓は渡利。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「土屋光春」の解説

土屋 光春 (つちや みつはる)

生年月日:1848年8月26日
明治時代;大正時代の陸軍軍人。大将
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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