土沢村(読み)つちざわむら

日本歴史地名大系 「土沢村」の解説

土沢村
つちざわむら

[現在地名]関川村土沢

村央をあら川の支流霧出きりで(現鍬江沢川)が北流し、両岸谷地林やちばやし上土沢かみつちざわ・下土沢、荒川左岸に橋場はしばの集落がある。北西大島おおしま村、南は鍬江沢くわえざわ村・山本やまもと村に接する。北方を米沢街道が通り、霧出川沿いに鍬江村(現北蒲原郡黒川村)への道が通る。正応五年(一二九二)頃の荒河保・奥山庄堺相論和与絵図(反町氏蔵)に「土沢」とみえる。和与境を示す朱線は「土沢」より西走し「切出河」(鍬江沢川)に至る。当地は奥山おくやま庄域と荒河あらかわ保域とに分割されたのであろう。


土沢村
どさわむら

[現在地名]今市市土沢

北東を赤堀あかほり川、中央を川がともに南東へ流れる比較的平坦な地に開ける。都賀つが郡に属し、北西は吉沢きちさわ村、東は河内かわち木和田島きわだしま村。日光山往古社領六十六郷のうちの「玄沢郷」は土沢郷のことと推定され、善寂ぜんじやく房領として土沢郷がみえる。また「菅沢郷」を当村すぎさわに比定する説もある(日光山常行三昧堂新造大過去帳)


土沢村
つちさわむら

[現在地名]東条町大畑おおはた

厚利あつとし村の南、東条川中流左岸の丘陵地に位置する。慶長国絵図に村名が記される。正保郷帳によると田方三二四石余・畠方二三石余、幕府領。宝永五年(一七〇八)以後領主の変遷は享保五年(一七二〇)までは新定しんじよ村と同じ。その後は幕府領を経て同一〇年出羽山形藩領(「組内村々申合覚」片山家文書)、同一五年大坂城代土岐頼稔領(同一九年「土岐頼稔知行目録」土岐家文書など)、延享元年(一七四四)大坂城代堀田正亮(出羽山形藩)(「天保校訂紀氏雑録」日産厚生会佐倉厚生園蔵)と変遷、さらに幕府領を経て幕末には遠江浜松藩(のち上総鶴舞藩)(旧高旧領取調帳など)


土沢村
つちさわむら

[現在地名]六日町土沢

清水瀬しずがせ村の西、北は高倉たかくら山、西は小川おがわ村、南は三国さくり川を挟んで舞台ぶたい村。正保国絵図に村名がみえ、高三四石余。天和三年郷帳では高二四石九斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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