日本歴史地名大系 「土河屋村」の解説 土河屋村つちごやむら 和歌山県:東牟婁郡本宮町土河屋村[現在地名]本宮町土河屋果無(はてなし)山脈の東端、熊野川の右岸に位置する。村の北端、熊野川沿いにある小名鹿淵(しかぶち)は紀伊・大和両国の境で、大和国十津川(とつかわ)郷七色(なないろ)村(現奈良県吉野郡)の上鹿淵と接する。慶長検地高目録に「土川屋村」とあり、村高一二五石余、小物成二・九三五石。三里組に属し、延宝五年(一六七七)より和歌山藩新宮領となる(新宮藩御勘定方旧記「和歌山県史」所収)。近世後期の「新宮領分見聞記」には高一三三・五三石とあり、鹿淵(鹿内)はこの頃、上は十津川領、下は新宮領に分れていた。 土河屋村つちごうやむら 大分県:南海部郡本匠村土河屋村[現在地名]本匠村山部(やまぶ) 土紙屋(つちごや)堂(どう)ノ間(ま)村の西、因尾(いんび)川左岸に位置し、西接する山部村に囲まれた山間の小村。正保郷帳に村名がみえ、田高二石余・畑高五石余、因尾郷に属した。元禄見稲簿では因尾村の内で無高。享和三年(一八〇三)の郷村仮名付帳(佐伯藩政史料)では因尾村の枝郷として、「豊後国志」でも因尾村に属する村として村名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by