日本歴史地名大系 「土淵村」の解説
土淵村
つちぶちむら
- 岩手県:遠野市
- 土淵村
慶長一七年(一六一二)当村の高五一四石余を含む九六五石余に百姓面付小高を加えた一千石余が平清水平右衛門に宛行われた(「南部利直知行宛行状」阿曾沼興廃記)。
土淵村
つちぶちむら
土淵村
つちぶちむら
横手山内郷の入口にあたり、東南に
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に二一二石とあり、宝永二年(一七〇五)の平鹿郡村々御黒印高帳(秋田県庁蔵)に当高二七七石一斗四升とあり、本田の免は六ツ、新田の免は六ツ、五ツ、四ツとある。新田高の合計は八四石余で、村高の約三〇パーセントを占める。灌漑用水は渓水に頼ったが、堤も多く、明和七年(一七七〇)には大小二四ヵ所の堤があった(「村々堤見分並日記」山内村郷土資料)。
土淵村
ひじうちむら
- 兵庫県:豊岡市
- 土淵村
土淵村
どぶちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報