日本大百科全書(ニッポニカ) 「地割制」の意味・わかりやすい解説
地割制
じわりせい
一定の基準のもとで耕地の割替えを行う琉球(りゅうきゅう)(沖縄)独特の土地共有制度。起源はいまだ不明で、古琉球(中世)起源説と近世起源説が対立しているが、18世紀初頭にはその存在が史料的に確認される。1899~1903年(明治32~36)に実施された沖縄県の土地整理事業により廃止された。
地割の対象となる耕地は原則として百姓地であるが、なかには百姓模合仕明地(もあいしあけち)(共有開墾地のこと)や地頭地(じとうち)(地頭とよばれるエリート層に与えられた耕地)、オエカ地(オエカ人とよばれる地方役人に与えられた役地)が含まれるケースもある。地割の実態はかなり複雑で、まず対象となる全耕地を測量して1筆ごとに所在・面積を確定し、そのうえで地味や遠近を考慮して評価を行い、それぞれの耕地にかかる租税(叶米(かなえまい)という)を指示する。次に、これらによって得られた耕地の現況によって「地」とよばれる独特の地割配当単位に置き換える。「地」の設定は村によってまちまちであるが、たとえば、ある村で全耕地を144地と把握したとすると、この144地の1地ずつに現実に存在する耕地との対応関係を決め、くじ引きで選べるようにした。一方、地割の主体となる村の成員は、地人(じにん)(方音ジーンチュ)とよばれ、彼らは地与(じぐみ)とよばれるいくつかのグループを編成、各地与に代表者として地与頭(かしら)を置いた。各地与頭は村役人立ち会いのもとでくじを引き、くじに明記された田畑をさらに自己の地与内で配分するという方式をとった。地与内の各戸への配分は単純な頭割りか、または貧富の程度、耕うん力のぐあいなどを勘案してなされた。そのため各戸への配分率はまちまちなものとなり、3地を得る家もあれば0.25地を得る家もあった。このようにして取得した田畑は次の地割まで耕作権が保障されるとともに、その田畑にかかる租税負担義務も負うことになった。割替えの時期は村によってあるいは田畑などの地目によってもまちまちで、田を2年ごとに割り替える村もあれば30年で割り替える村もあり、さらにはとくに周期を定めない不定期の村もあった。このように、地割制は共同体的な共有制度に根強く支えられ、その成員間の公平と階層分化の阻止を理念としたものの、農業経営意欲の停滞と地力の低下を生むものとしてしばしば問題にされた。明治期の土地整理事業の過程で最後の地割が実施され、取得した配当地をそのまま取得者の私的所有とすることにより消滅した。
[高良倉吉]
『安良城盛昭著『新・沖縄史論』(1980・沖縄タイムス社)』