坂本新田(読み)さかもとしんでん

日本歴史地名大系 「坂本新田」の解説

坂本新田
さかもとしんでん

[現在地名]和泉市東阪本ひがしさかもと

坂本村内の東部信太山しのだやま丘陵の西斜面に開かれた新田村。延宝三年(一六七五)当時坂本村の領主であった大坂城代青山宗俊から、村内の未開地を開く許可を得、開発に着手。同三、四年の年貢は免じられた(赤松家文書)。同五年青山氏の検地を受け、坂本新田開改帳(同文書)が作成された。同改帳によると、田畑計九町八畝余・分米計四三石三斗余。内訳は下田九反八畝余・分米六石八斗余、下畑八町一反余・分米三六石四斗余。名請人は二名。なおこの高は現作田だけで決定されたものではなく、近く開墾予定の荒場をも含めた上で決定されたものであった(同文書)


坂本新田
さかもとしんでん

[現在地名]中郷村坂本新田

北国街道に沿い、南は二本木にほんぎ村、北は藤沢ふじさわ村に続く。東に鳥坂とりさか城跡(現新井市)に続く山があり、文政三年(一八二〇)の頸城郡細見絵図では「姫川原御林七百廿丁歩」と記される。天和三年郷帳では高二六石二斗余、うち山高九升二合・漆高一升四合とある。


坂本新田
さかもとしんでん

[現在地名]下妻市坂本新田

大宝だいほう(糸繰川)西岸にあり、元禄期(一六八八―一七〇四)以後新開と伝える(新編常陸国誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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