日本歴史地名大系 「城神社」の解説 城神社かつらぎじんじや 徳島県:鳴門市粟田村城神社[現在地名]鳴門市北灘町粟田粟田(あわた)地区西方の峡谷平地を見下ろす山中、字池谷(いけのたに)にある。主祭神は一言主命。旧村社。社伝では天喜年間(一〇五三―五八)の勧請という。江戸時代には粟田・鳥(とり)ヶ丸(まる)・大浦(おおうら)・宿毛谷(すくもだに)四ヵ村の産土神で(「鳴門辺集」など)、寛保改神社帳では祭神は天智天皇、別当は粟田村長寿(ちようじゆ)寺とある。眼病の神として知られ、境内の柳の井(やなぎのい)の水で眼を洗うと霊験あらたかという。「粟の落穂」には、天智天皇が讃岐国屋島(やしま)(現香川県高松市)へ行く途中、池の鮒を釣ろうと馬に乗って当社近くの山中に入ったところ、藤の蔓が馬の足にからまったため落馬し、男竹で目を突いて痛めた。 城神社かつらぎじんじや 徳島県:鳴門市姫田村城神社[現在地名]鳴門市大麻町姫田大麻町姫田(おおあさちようひめだ)地区の中央部西方大森(おおもり)にある。主祭神は一言主命。旧村社。創立年代は未詳。旧板野(いたの)郡内にある一言主命を祀る葛城神社三社のうちの一社。三社はいずれも現鳴門市内にあり、「延喜式」神名帳所載の大和国葛上(かずらきのかみ)郡の名神大社「葛木坐一言主神社」を祀る古代の大和の豪族葛城氏、その支族玉手氏の一族が大麻山周辺に渡来し、その祖神を勧請したとも思われる。当社周辺には葛城神社(かつらぎじんじや)古墳や宮尾神社(みやおじんじや)古墳などがある。 城神社かつらぎじんじや 佐賀県:三養基郡三根町天建寺村城神社[現在地名]三根町大字天建寺字土居内土居内(どいうち)の中部に鎮座。祭神は葛木一言主命。旧村社。「三代実録」貞観一五年(八七三)九月一六日条に肥前国の正六位上葛木一言主神に従五位下の神位が加階されたことがみえる。一言主は大和国葛城山(現奈良県御所市)の神である。「太宰管内志」は、当地に居住していたという葛城部が祀ったものであろうとしている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by