埴生野新田(読み)はにうのしんでん

日本歴史地名大系 「埴生野新田」の解説

埴生野新田
はにうのしんでん

[現在地名]羽曳野市はびきの一―七丁目・野々上ののうえ五丁目・桃山台ももやまだい一―二丁目・埴生野・羽曳が丘西はびきがおかにし一―五丁目など

伊賀いが村の南部に開発された新田。伊賀村に一一町八反余の松山林(このうち溜池が四町三反余)があり(元文五年「伊賀村明細帳」今西家文書)後世の新田絵図とてらして、この山野周辺が開発されたものであろう。

開発計画は享保年間(一七一六―三六)に始まる。申請人は不明だが、同一二年新田開発の申請に対し、伊賀村は埴生野山内にある用水溜池に土砂が入込むこと、山内の松葉下草渡世をする百姓が難儀することをあげ、開発中止を代官に願出た(西山家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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