堀上村(読み)ほりあげむら

日本歴史地名大系 「堀上村」の解説

堀上村
ほりあげむら

[現在地名]淀川区三津屋みつやみなみ一丁目・なか一丁目・きた一丁目〉・新高にいたか二丁目・野中北のなかきた二丁目・野中南のなかみなみ二丁目

西成にしなり下中島しもなかじまの一村で新在家しんざいけ村の南西にある。集落は村の南部にある。村名は、集落をつくるにあたり、四方に溝を掘り、その土を盛上げて宅地を造成したことにちなむと伝え、当村がもと環濠集落であったことがうかがわれる。元和元年(一六一五)から同五年まで大坂藩松平忠明領(うち三年まで一部池田重利領)、その後享保二年(一七一七)までは三津屋村と同じ。一村別旧領主并石高では閑院宮家領。村高は慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図では新在家村・東野中村・西野中村と合せ八六五石余、元和初年の摂津一国高御改帳では「(堀カ)ノ上・新在家」として同高(野中村を含むか)


堀上村
ほりあげむら

[現在地名]堺市堀上町・堀上緑ほりあげみどり町一―二丁・宮園みやぞの

八田寺はんだいじ村の北から東側にかけてあり、東西に長い村。大鳥郡に属する。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図に村名がみえる。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳によると高三五六石余、元文年中改和泉国四郡郷村高帳には三二一石余とあり以降変化はない。領主の変遷平岡ひらおか村に同じ。延宝五年(一六七七)の家数二八、うち本百姓一九・水呑百姓九、人数一四四(浅尾家文書)


堀上村
ほりあげむら

[現在地名]東金市堀上

北之幸谷きたのこうや村の南に位置する。康暦二年(一三八〇)四月七日の檀那門跡相承資(逢善寺文書)に天台宗恵心流として上総堀上の尾張法印があげられている。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高四一二石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では福俵組に属し、幕府領三三〇石・旗本渡辺領二〇石。元禄郷帳では高四七三石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高五〇一石余、家数六〇、旗本川口・大久保領と三卿の清水領。旧高旧領取調帳では清水領が幕府領となっている。東金酒井家臣松戸氏は当地に土着したという(「東金城明細記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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