日本歴史地名大系 「塔原」の解説
塔原
とうのはら
〔平安時代以来の領主〕
伴氏一族の寄田氏が名主として塔原を支配していた。寛元四年(一二四六)に千葉秀胤(常胤の曾孫)は執権北条時頼の排除に同調して勘気を被り上総国に追放された際、寄田信忠が訪わなかったとして「入来院内塔原」の名主職を奪った(建長二年四月二八日「関東下知状」入来院文書)。入来院地頭が渋谷定心(入来院氏初代)に代わると、宝治元年(一二四七)八月、伴(寄田)信俊・信忠・信資は、渋谷氏に対して忠節を誓う起請文を出した(同月五日「伴信俊・信忠・信資連署起請文」同文書)。この結果、信俊は名主職に還補されるが、まもなく改易された。この件は裁判となり、鎌倉幕府は名主職は地頭の進止であるという渋谷氏側の主張を支持し、寄田氏側は敗訴した(前掲関東下知状)。しかし寄田氏の抵抗は嘉暦三年(一三二八)頃、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報