塚本靖(読み)ツカモト ヤスシ

20世紀日本人名事典 「塚本靖」の解説

塚本 靖
ツカモト ヤスシ

明治〜昭和期の建築学者 東京帝大名誉教授



生年
明治2年2月15日(1869年)

没年
昭和12(1937)年8月9日

出生地
京都

別名
幼名=巳之吉

学歴〔年〕
東京帝大工科大学造家科〔明治26年〕卒,東京帝大大学院

学位〔年〕
工学博士〔明治36年〕

経歴
明治26年東京帝国大学大学院に進学。主として建築意匠装飾研究し、特に日光廟の建築・装飾の実測研究に当たった。32年助教授となり建築学研究のため欧州留学。35年帰国し教授就任。39年・41年渡航し中国建築を研究、43年日英博覧会の事務として渡英した。同年特許局技師を兼任、のち朝鮮、満州を歴遊。大正11〜12年工学部長、昭和4年定年で退官し名誉教授となる。建築学の権威として知られ、12年芸術院会員。日本建築学会会長も務めた。論著中、「日光廟装飾論」は特に著名である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「塚本靖」の意味・わかりやすい解説

塚本靖
つかもとやすし
(1869―1937)

建築学者。京都に生まれる。1893年(明治26)東京帝国大学工科大学造家学科卒業。同大学院で主として建築意匠を研究。98年東京帝国大学講師、翌年助教授となりヨーロッパへ留学。1902年(明治35)帰国して教授となり、建築計画および意匠を担当。03年工学博士。その後中国建築の研究を手がける。29年(昭和4)退官し名誉教授。日本建築学会会長を務め、37年には帝国芸術院会員となる。建築、工芸に関する多数の論文があるが、『日光廟(びょう)装飾論』はとくに著名。

[天田起雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塚本靖」の解説

塚本靖 つかもと-やすし

1869-1937 明治-昭和時代前期の建築学者。
明治2年2月15日生まれ。32年母校東京帝大の助教授となり,ヨーロッパに留学後の35年教授,大正11年工学部長。建築意匠を研究し,論文「日光廟(びょう)装飾論」で知られる。日本建築学会会長。芸術院会員。昭和12年8月9日死去。69歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塚本靖」の意味・わかりやすい解説

塚本靖
つかもとやすし

[生]明治2(1869).京都
[没]1937
建築学者,工学博士。 1893年東京帝国大学を卒業,大学院で建築装飾法を研究。 99年イギリス,フランスドイツに留学。東京帝国大学教授,同名誉教授,文展審査委員,日本建築学会会長,帝国芸術院会員。建築・工芸界に大きな業績を残した。

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