変法運動(読み)へんぽううんどう

山川 世界史小辞典 改訂新版 「変法運動」の解説

変法運動(へんぽううんどう)

清末,康有為(こうゆうい)が起こした国政改革運動。1895年から運動を起こし,98年に挫折した。康有為は95年からしばしば上書して,国政の改革(変法)を主張し,強学会を組織して改革運動を進めていた。98年光緒帝に認められ,譚嗣同(たんしどう),楊鋭(ようえい),劉光第(りゅうこうだい),林旭(りんきょく)らとともに国政改革に着手したが,西太后(せいたいごう)を中心とする保守派の弾圧にあって,光緒帝は幽閉され,改革派の主要人物はあるいは殺され,あるいは海外に亡命した(戊戌(ぼじゅつ)の政変)。変法派の改革案の要点は,日本の明治維新手本にし,国会を開き,憲法を制定し,専制君主制を改めて立憲君主制にすることにあった。98年の改革は失敗したが,その後変法派の意見はしだいに知識階級の間に浸透し,義和団事件以後は郷紳(きょうしん)層を中心とする立憲運動に発展していった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「変法運動」の解説

変法運動
へんぽううんどう

清末期に行われた上からの政治改革運動。戊戌 (ぼじゆつ) の変法ともいう
変法とは,西洋文化の物質面だけを摂取した洋務運動を批判し,西洋の政治制度にも学んで中国の制度を改めようとする考え方。日清戦争の敗戦による刺激のなかで,1898年,康有為 (こうゆうい) ・梁啓超 (りようけいちよう) ・譚嗣同 (たんしどう) らを中心に,光緒帝を動かし公羊 (くよう) 学の大同思想根底において行われた。具体的には日本の明治維新にならって,政治組織の改革,産業の振興軍隊の洋式化,科挙の廃止と洋式学校設立,官報の発行,纏足 (てんそく) の禁止,翻訳局の設置などの諸改革を断行し,立憲君主政の国家をつくろうとした。しかし,西太后を中心とする保守派の反対で失敗(戊戌の政変)。康有為の他には,張之洞 (ちようしどう) が洋務から変法への動きを示した。なお,変法運動による政治改革は100日あまりで失敗したことから,百日維新とも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の変法運動の言及

【公羊学】より

…彼は公羊学の三世説を《礼記(らいき)》礼運篇の拠乱世,小康世,大同世に配当し,さらに西欧の社会進化論を結びつけて3段階の歴史発展を考え,立憲君主政体を実現することにより当面の拠乱世から小康世への展開をめざした。しかし守旧派のクーデタにより変法運動は失敗に終わった。今文学【坂出 祥伸】。…

※「変法運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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