清末,1898年,光緒帝が康有為(こうゆうい)を登用して国政の改革に着手したとき,西太后(せいたいごう)を中心とする保守派が,これに反対して光緒帝を幽閉し,変法派を弾圧した事件。康有為は95年から国政改革の必要を唱え,勉学会を組織して運動を進めていたが,98年光緒帝に登用されて譚嗣同(たんしどう)らとともに改革に着手した。改革の方針は日本の明治維新にならって,国会を開き,憲法を制定し,立憲君主政体を実現することにあった。しかし,光緒帝も変法派の官僚もほとんど実権を持たず,官界に強力な支持勢力もないままに,急に大改革を行おうとしたため,保守的な官僚層の反対にあい,ただ改革方針を示しただけで葬り去られた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...