多田裕計(読み)タダユウケイ

デジタル大辞泉 「多田裕計」の意味・読み・例文・類語

ただ‐ゆうけい【多田裕計】

[1912~1980]小説家俳人福井の生まれ。「長江ちょうこうデルタ」で芥川賞受賞。戦後石田波郷はきょう俳誌」に参加。俳誌「れもん創刊主宰。他に「アジアの砂」「芭蕉」、句集浪漫抄」など。

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20世紀日本人名事典 「多田裕計」の解説

多田 裕計
タダ ユウケイ

昭和期の小説家,俳人



生年
大正1(1912)年8月18日

没年
昭和55(1980)年7月8日

出生地
福井市江戸上町

学歴〔年〕
早稲田大学仏文科卒業

主な受賞名〔年〕
芥川賞(第13回)〔昭和16年〕「長江デルタ」,大衆文芸懇話会賞〔昭和24年〕「蛇師」

経歴
横光利一に師事し、同人雑誌「黙示」に参加。昭和15年上海中華映画に入社し上海へ。16年「長江デルタ」で第13回芥川賞を受賞。その後の作品に「アジアの砂」「叙事詩」「小説芭蕉」などがある。俳句は28年「鶴」に参加、37年俳誌「れもん」を創刊主宰し、句集に「浪漫抄」「多田裕計句集」、評論集に「芭蕉・その生活と美学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多田裕計」の解説

多田裕計 ただ-ゆうけい

1912-1980 昭和時代の小説家,俳人。
大正元年8月18日生まれ。横光利一に師事し,石塚友二らとまじわる。昭和15年上海中華映画に入社して上海にわたり,16年「長江デルタ」で芥川賞。戦後石田波郷(はきょう)の俳誌「鶴」に参加,37年「れもん」を創刊,主宰。昭和55年7月8日死去。67歳。福井県出身。早大卒。著作に「芭蕉―その生活と美学」,句集に「浪漫抄」など。
格言など】死の夢に蛍なだれてゐたりけり(辞世)

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