コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

石田波郷 いしだ はきょう

8件 の用語解説(石田波郷の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

石田波郷

俳人。愛媛県生。名は哲大。明大中退。郷里の俳人五十崎古郷に師事するが、上京後は水原秋桜子の指導の下、『馬酔木最年少同人となり、のち『鶴』を主宰する。『定本石田波郷全集』は第6回読売文学賞を受賞、朝日新聞俳句欄選者となるなど俳壇の中心的存在として活躍した。昭和44年(1969)歿、56才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

いしだ‐はきょう〔‐ハキヤウ〕【石田波郷】

[1913~1969]俳人。愛媛の生まれ。本名、哲大(てつお)。水原秋桜子(しゅうおうし)の教えを受け、「馬酔木(あしび)」の同人となる。清新な青春俳句で注目され、のち、句誌「」を主宰。句集に「鶴の眼」「風切」「惜命(しゃくみょう)」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

石田波郷【いしだはきょう】

俳人。本名哲大(てつお)。愛媛県松山市生れ。明治大学文芸科中退。水原秋桜子に師事,《馬酔木(あしび)》同人として編集にも参加した。1937年《鶴》を創刊主宰。中村草田男加藤楸邨とともに人間探究派と呼ばれた。
→関連項目西東三鬼ホトトギス

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石田波郷 いしだ-はきょう

1913-1969 昭和時代の俳人。
大正2年3月18日生まれ。水原秋桜子の「馬酔木(あしび)」同人となり,昭和12年「鶴」を創刊・主宰。中村草田男(くさたお),加藤楸邨(しゅうそん)とともに人間探求派といわれた。肺結核で入退院をくりかえしながら人生を凝視する句をよみつづけた。昭和44年11月21日死去。56歳。愛媛県出身。明大中退。本名は哲大(てつお)。句集に「鶴の眼」「惜命(しゃくみょう)」「酒中花」など。
【格言など】霜柱俳句は切字(きれじ)響きけり(「風切」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

いしだはきょう【石田波郷】

1913‐69(大正2‐昭和44)
俳人。愛媛県生れ。本名哲大(てつお)。明治大学文芸科中退。五十崎(いかざき)古郷に師事し,1930年,《馬酔木(あしび)》に参加,高屋窓秋らとともに流麗清新な抒情俳句に新風を開き,水原秋桜子門の代表的俳人となった。37年,主宰誌《鶴》を創刊,《鶴の目》(1939)を上梓,新興無季俳句運動の素材的・散文的傾向に同調せず,韻文精神に立脚した人間諷詠の道をたどり,中村草田男加藤楸邨とともに〈人間探求派〉と呼ばれた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

いしだはきょう【石田波郷】

1913~1969) 俳人。愛媛県生まれ。本名、哲大。明大卒。水原秋桜子に師事。「馬酔木あしび」同人。「鶴」を主宰、新興俳句運動の隆盛とともに「人間探求派」と称された。句集「鶴の眼」「惜命」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石田波郷
いしだはきょう

[生]1913.3.18. 愛媛,垣生
[没]1969.11.21. 東京
俳人。水原秋桜子の『馬酔木 (あしび) 』に参加,同誌編集のかたわら明治大学文芸科に学んだ。 1935年『石田波郷句集』を発表,俳壇の早熟児として騒がれ,『鶴の眼』 (1939) により中村草田男,加藤楸邨 (しゅうそん) とともに「人間探求派」と呼ばれた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石田波郷
いしだはきょう
(1913―1969)

俳人。大正2年3月18日松山市生まれ。本名哲大(てつお)。松山中学4年のとき俳句を始め、やがて五十崎(いかざき)古郷に師事、波郷と号した。古郷とともに『馬酔木(あしび)』に投句。水原秋桜子(しゅうおうし)の句集『葛飾(かつしか)』を読んで感動、上京。1933年(昭和8)『馬酔木』最年少の同人となる。『馬酔木』の編集に従事しながら明治大学文芸科に学ぶ。石塚友二と知り横光(よこみつ)利一に紹介される。35年『石田波郷句集』を上梓(じょうし)、清新な青春俳句が注目された。37年『鶴(つる)』を創刊主宰。39年句集『鶴の眼(め)』を刊行。中村草田男(くさたお)、加藤楸邨(しゅうそん)とともに難解派、人間探求派とよばれた。芭蕉(ばしょう)を学び俳句固有の韻文精神を確立しようとした。「俳句は文学ではない」ということばが知られる。43年句集『風切(かざきり)』刊行。鳩兵(きゅうへい)(通信隊)として中国戦線に召集されるが結核発病、内地に送還される。46年句集『病雁(びょうがん)』刊行。47年病気再発、翌年手術を受け、以後生涯、入退院を繰り返した。50年の句集『惜命(しゃくみょう)』はすさまじい闘病の記録。54年『石田波郷全句集』により読売文学賞受賞。『春嵐(はるあらし)』(1957)、文部大臣賞の『酒中花』(1968)、『酒中花以後』(1970)の句集を残した。昭和44年11月21日没。[平井照敏]
 雪はしづかにゆたかにはやし屍室(かばねしつ)
『『石田波郷全集』9巻・別巻1(1970~72・角川書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

石田波郷の関連キーワード長谷川かな女室積徂春相羽仙夫石田あき子岡田日郎沢田はぎ女浜中調布富士崎放江室積波那女渡辺白泉

今日のキーワード

ネコノミクス

猫が生み出す経済効果を指す造語。2012年に発足した安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」にちなみ、経済が低迷する中でも猫に関連するビジネスが盛況で、大きな経済効果をもたらしていることを表現したもの。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

石田波郷の関連情報