→「審美学」の語誌
美および芸術の原理を問い,これらを体系的に研究する学問で,哲学の一分科に属する。注意すべきは,〈美学〉の語は西欧語Ästhetikなどの訳語として定着した学術語であり,ただちに〈美についての学〉をさす合成語ではないという事実である。Ästhetikへの顧慮は日本では明治初年からみられたが,〈美学〉講座が1899年東京帝国大学文学部に開設,つづいて各大学にも設置されるにつれて美学という呼称も一般化したのである。
その美学が新たな自覚を得て体系的学問として成立したのは近代18世紀のことであった。ドイツのバウムガルテンは合理主義哲学の伝統をひく哲学者だが,彼は従来の哲学体系には下位の認識能力たる感性的認識(上位は理性的認識)についての考察が欠けていたとし,感覚,感性,感覚的知覚をあらわすギリシア語aisthēsisに由来するラテン語aesthetica(ドイツ語化すればÄsthetik)を〈感性的認識の学〉と規定した。ここに生じた形容詞ästhetisch(美的)とは感性による直感的感受の契機と精神による英知的透見の契機とを併せもつ概念であるが,この新概念の豊かさのもとに後輩カントは感覚的,生理的な快と異なる美の普遍妥当性を説き,ついでヘーゲルは壮大な芸術哲学を築いて,美学は美および芸術の原理学としての位置を確立した。バウムガルテンは2巻の大著《美学Aesthetica》(1750,58)をあらわすが,この時期こそは美学史上の明確な里程標である。
科学的真理や道徳的規範などが,これらを認める人の有無にかかわりなく存立しうるのにくらべて,美はつねにそのつどこれを認める生身の自我に対してのみ顕現する。この点で美を成立させる主体-客体の緊張関係は諸他の価値の場合以上に厳しいといえる。他面そのような関係では主体,客体の双方がいずれも無数無限にかぞえられ,その千差万別の主客関係を統一的に把握することは不可能であるかにみえる。だがこの事態を直視して美学はなお美の学問的究明は可能としてきた。その確信は,美を成立させる美的体験の構造は普遍的なものとして客観的に記述できる,という洞察にもとづいている。すなわち,まず客体のがわについては,いかに多種多様といえ,これは美を備える対象の領域によって自然美と芸術美に大別されるが,この区別の根底にあらためて両者の帰一する原理が見いだされるにちがいなく,また主体のがわについても,これは対象を静観する観照・享受と何らかの素材に手を加えて能動的に新たな美を生みだそうと努める創作とに大別されるが,ここでも両者の帰一する原理が見いだされるであろうし,かかる原理が主客双方に認められるや,美の現象は究極的主客関係(例えば何らかの絶対者と,これを仰いで求めずにはいられぬ人間の根源的衝動との関係など)の無限多彩な様相として説明できるとされるのである。
そのような究極的主客関係をいかにとらえるかは論者の世界観ないし人間観によって異なる。だが美学が体系として樹立されるとき,その構築はいずれも上述の自然美,芸術美,観照(享受),創作という四極をはらみ,これら相互の緊張関係のうちに美の所在は見定められることになる。そしてまず主体のがわを重くみるか,それとも逆かという主客の軽重,ついで四極いずれを重んじるかという比重の差異によって,さまざまな美学が立てられてきた。〈作用(効果)美学〉〈対象美学〉〈価値美学〉あるいは〈享受美学〉〈創作美学〉などの呼称にはその具体例がみられる。またヘーゲル以来西欧では顕著だが,美の典型的にして純粋完全な実現を芸術に認めて主要研究対象を芸術美に限る姿勢,これに対してあくまで自然美を敬重せずにはいられぬ態度には,美学に反映する文化の相違を読みとることもできよう。
芸術は美の創造を本質的契機とするが同時に意味を伝達する作物でもあり,その機能は言語と相通じるところがある。それゆえ言葉を語る存在として人間が登場したとき芸術も同時に出現したはずであり,芸術を介して美の歴史も人類史とともに古い。さきにバウムガルテンによる近代美学の成立を美学史の画期と述べたが,美についての思想はおよそいかなる文化民族においても古くから存在しており,それらは今後体系上の整備を経てそれぞれの美学として紹介されることであろう。だが諸文化のなかで美についての学問的探究をいちはやく展開したのは古代ギリシアであり,以来美学的思想の主潮はやはり西欧に流れてきたとみなければならない。
美のイデアを説いて美の哲学の基を築いたプラトン,悲劇を論じた《詩学》によって芸術学の始祖となったアリストテレス,はじめて独立の美論をまとめたプロティノス,ローマにおいては修辞学上の著作をもつキケロおよびクインティリアヌス,古代末期から中世に移れば神学的美論を説くアウグスティヌスやトマス・アクイナス,ルネサンスでは各種の美術論や詩学を述べる美術家や文人たち,これらはいずれも深く沈潜して傾聴すべき人々である。近世に入るや感性に対する新たな照明と相まって17世紀から18世紀前半にわたり美学成立の機運が生じた。イギリスにおける第3代シャフツベリー伯,ハチソン,H.ホーム,E.バークにみられる美的印象の分析,フランスのボアロー,J.B.デュ・ボス,C.バトゥー,ディドロの批評活動と表裏をなす芸術論,これらはみな美学成立に寄与する活発な躍動であり,バウムガルテン以降,カントの《判断力批判》(1790),ヘーゲルの芸術哲学講義《美学》(1835)はともに美学史上の金字塔をなすにいたった。そして,その後19世紀から20世紀にかけての美学は,方法の相違によって概観することができよう。
美学が研究対象を扱うには種々の方法があるが,その中で最も根本的な対立をみせて際立つのは哲学的方法と科学的方法である。
哲学的方法をとれば,美的現象はいかに際限なくとも,これらを通じて一貫する美の本質がなければならないとされる。この本質を問うことによって美的規範ästhetische Normが呼びだされ,美学は規範学の一つとしてたんなる経験科学にとどまることはできず,哲学化して哲学体系内へと組み込まれる。哲学的美学の共通点は,まず美の根本原理を立て,ここから個々の美的現象の合理的説明に向かうという姿勢である。ヘーゲルを頭にドイツ観念論美学の系譜はこの演繹的方法に立つものであった。
科学的方法をとれば,美的価値は個々の美的体験や美的作品を離れて存在しないからには,美的原理の確立はこれら個別的なものから出立しなければならないとされる。この見地のもと従来の美学を〈上からの美学〉と決めつけ,経験分析の帰納的方法による〈下からの美学〉を唱えて新時代をひらいたのがフェヒナーであった。以後19世紀後半は実証主義尊重の思潮のなかで美学も科学的美学の姿をみせたといえる。心理学の応用領域の一つとなった美学は実験心理学的美学をひらき,他方内省分析を重視する立場はT.リップス,フォルケルトの感情移入美学を生んだが,後者はのちに深化して哲学への接近をつよめ,はては現象学へとつながってゆく。また美的体験には個人をこえる時間的・空間的規定も加わるものであり,これを重視する立場から芸術の社会学的研究がはじまったが,マルクス主義の芸術研究もこの系譜にかぞえてよかろう。さらに研究は確実な芸術作品に即して行われるべきだと説くK.フィードラーから近代の芸術学がはじまったが,これもデソアールからウーティッツに引きつがれて哲学的美学との和解を遂げたとみてよい。美は精神的な統一的価値であり,たんなる経験現象に還元することができない以上,経験的方法によるだけでは美を究明しつくすことはできないからである。
これらの動向をみれば,美的領域においては哲学的思索と科学的観察とのあいだに緊密な相互関係がなければならないことが明らかである。美学はあくまで具体的な体験の事実に即して美の本質を感得し,また美を備える対象の核心的意義に注目しつつ美的事実ことに芸術の実証的研究を拡充すべきものである。したがって当然美学は体系的芸術学の諸部門すなわち文芸学,美術学,音楽学等々を包容して着実な展開をつづけるはずであり,そのさい美学の指針はこれを主導する哲学に左右されることであろう。今日いよいよ多彩な活動をみせている美学の動態もまた現代哲学の多様な動向との関連において理解されるのである。
→芸術学 →美
執筆者:細井 雄介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字義どおり、美を対象とする、すべての種類の学問的考察をさしていう。美の本質を問い、その原理を究明する形而上(けいじじょう)学としての美学のほかに、さまざまの美的現象を客観的に観察し、これを法則的に記述しようとするところの科学的美学がある。日本語の「美学」はもともとドイツ語のÄsthetikの訳語で、西周(にしあまね)によって「善美学」とか「佳趣論」などのことばがあてられ、森鴎外(おうがい)はこれを「審美学」と訳した。これは元来、感覚されるもの(アイステトンaistheton、ギリシア語)に関する学問のことで、カントの『純粋理性批判』では、Ästhetikは語源に従って単なる感性論の意味に用いられている。この語を今日の美学の意味で初めて使用したのは、ライプニッツ‐ウォルフ学派のバウムガルテンであって、彼は、これまで理性的認識に比し低級視されていた感性的認識の学を哲学の一部門として樹立し、これにエステティカaesthetica(ラテン語)という名称を与えた。しかも、美とは感性的認識の完全なものにほかならないから、感性的認識の学は同時に美の学であると考えた。ここに近代美学の方向が切り開かれたのである。
古典美学はあくまで美の本質を問う形而上学で、プラトンにおけるように、永遠に変わらない超感覚的存在としての美の理念を追求した。これに反し、近代美学では、感性的認識によってとらえられる現象としての美、すなわち「美的なもの」das Ästhetischeが対象とされる。この「美的なもの」は、理念として追求されるような美そのものではなく、あくまでわれわれの意識に映ずる限りの美である。そうした「美的なもの」を追求する近代美学はそこで、美意識論を中心として展開されることになる。
カントは感性的現象としての美意識を先験主義の立場から基礎づけたが、意識に映ずる単なる現象としての「美的なもの」を探求する方向は当然、経験主義と結び付く。19世紀の後半からは、ドイツ観念論の思弁的美学にかわって、経験的に観察された事例に即して美の理論を構築してゆく傾向が強まってくる。フェヒナーは「下からの美学」を唱え、心理学の立場から美的経験の諸法則を探求しようとする「実験美学」を主張した。今日ではさらに、社会学的方法を美的現象の解明に適用しようとする「社会学的美学」や、分析哲学における言語分析の方法を美学に適用しようとする「分析美学」など、多彩な研究分野が切り開かれつつある。
[伊藤勝彦]
『大西克禮著『美学』2巻(1960・弘文堂)』▽『井島勉著『美学』(1958・創文社)』▽『竹内敏雄著『美学総論』(1979・弘文堂)』▽『竹内敏雄編『美学事典』(1961・弘文堂)』▽『今道友信編『講座 美学』全5巻(1984~85・東京大学出版会)』
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…ドイツの哲学者で〈美学aesthetica〉なる語および学科の創始者。ライプニッツを継ぐC.ウォルフに学び,1740年以後死ぬまでフランクフルト・アン・デル・オーデル大学教授。…
…美および芸術の原理を問い,これらを体系的に研究する学問で,哲学の一分科に属する。注意すべきは,〈美学〉の語は西欧語Ästhetikなどの訳語として定着した学術語であり,ただちに〈美についての学〉をさす合成語ではないという事実である。Ästhetikへの顧慮は日本では明治初年からみられたが,〈美学〉講座が1899年東京帝国大学文学部に開設,つづいて各大学にも設置されるにつれて美学という呼称も一般化したのである。…
※「美学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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