多留郷(読み)たろごう

日本歴史地名大系 「多留郷」の解説

多留郷
たろごう

大場だいば川左岸の現多呂たろ付近に比定される中世の郷。多呂郷ともみえる。元弘三年(一三三三)一二月二九日の足利尊氏御判御教書写(如意宝珠御修法日記紙背文書)に「伊豆国多留郷地頭職」とみえ、富樫介(高家)に与えられている。しかしその後、高家の子息氏春は当郷の安堵幕府訴え足利義詮から関東執事畠山国清に相違なきよう取計らうことが命じられている(年未詳八月一六日「足利義詮御内書写」同文書)。貞治三年(一三六四)一二月一六日多呂郷は鎌倉円覚寺正続院領として寄進されたが(「鎌倉公方足利基氏寄進状」円覚寺文書)、応安六年(一三七三)一一月一〇日富樫介昌家(氏春の子息)の訴えが認められ、当郷を昌家の代官に引渡すよう鎌倉府に命じられている(「管領細川頼之奉書写」同文書)


多留郷
たるごう

和名抄」所載の郷。同書高山寺本・名博本に「多留」、東急本・元和古活字本に「多笛」とあり、名博本に「タル」の訓がある。しかし武蔵国分寺跡(現東京都国分寺市)出土の文字瓦に「留多」とあるので(武蔵国分寺古瓦文字考)、留多郷が正しいと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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