多芸庄(読み)たぎのしよう

日本歴史地名大系 「多芸庄」の解説

多芸庄
たぎのしよう

現養老町の中央部から北部一帯および大垣市南西部の多芸島たぎしまあたりにわたる地に比定される。多岐・多記とも書かれ、一時期昭慶門院領であった。貞観一四年(八七二)三月九日の貞観寺田地目録(仁和寺文書)に美濃国庄五所の一として「多藝庄地百在多藝郡」とある。一四〇町のうち熟田は一二町にすぎず、未開地は一二八町(田代)となっている。その内訳は、故右大臣家地八〇町を貞観九年の太政官符によって施入したものと、不破郡権少領宮勝十二月麿が寄進した空閑地六〇町を貞観八年正月二〇日の太政官符によって施入したものとから成立っている。しかしその後当庄は永く史料にみえず、この目録に記載されている多芸庄と、中世の諸史料にみえる多芸庄との関係については、どちらも多藝郡内にあったという以外に共通点は見いだせない。

中世の多芸庄関係の史料には、庄内の郷・名として江月えつき郷・大跡おおあと郷・大塚おおつか郷・高田たかだ郷・多芸島郷、椿井つばい(石畑周辺)直江なおえ郷・春木はるき郷・貞松名、榛木はんのき(飯木か)・支江・吉田よしだなどがみえる。文治六年(一一九〇)には高田郷地頭保房が在庁の訴えによって改易された(「吾妻鏡」建久元年四月一八日条)。「平治物語」には、かつて源頼朝が伊豆へ流罪になるときに出家しようとしたのを思いとどまらせた纐纈源五盛安が、その時の恩賞として、建久三年(一一九二)に多記の庄半分を頼朝から与えられた話が載っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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