日本歴史地名大系 「多芸庄」の解説
多芸庄
たぎのしよう
現養老町の中央部から北部一帯および大垣市南西部の町在多藝郡」とある。一四〇町のうち熟田は一二町にすぎず、未開地は一二八町(田代)となっている。その内訳は、故右大臣家地八〇町を貞観九年の太政官符によって施入したものと、不破郡権少領宮勝十二月麿が寄進した空閑地六〇町を貞観八年正月二〇日の太政官符によって施入したものとから成立っている。しかしその後当庄は永く史料にみえず、この目録に記載されている多芸庄と、中世の諸史料にみえる多芸庄との関係については、どちらも多藝郡内にあったという以外に共通点は見いだせない。
中世の多芸庄関係の史料には、庄内の郷・名として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報