多賀谷重経(読み)たがやしげつね

改訂新版 世界大百科事典 「多賀谷重経」の意味・わかりやすい解説

多賀谷重経 (たがやしげつね)
生没年:1558-1618(永禄1-元和4)

安土桃山時代武士常陸下妻城多賀谷政経の子。修理亮。結城・佐竹両氏に属して常陸南西部に勢力をのばす。1590年(天正18)豊臣秀吉の命で重経と養子宣家(佐竹義重の子)は佐竹氏に属し,実子三経は結城氏に属す。関ヶ原戦後,所領を没収,下妻城を破却され,1602年(慶長7)佐竹氏の転封に際し宣家と出羽へ行くが,のち実子茂光らを頼り近江へ移り彦根で没す。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多賀谷重経」の解説

多賀谷重経 たがや-しげつね

1558-1618 織豊時代の武将
弘治(こうじ)4年2月23日生まれ。多賀谷政経(まさつね)の子。天正(てんしょう)4年父の跡をつぎ常陸(ひたち)(茨城県)下妻城主となる。佐竹義重とむすんで領地を拡大したが,豊臣秀吉に所領6万石のみ安堵(あんど)される。関ケ原戦いに際し,下野(しもつけ)(栃木県)小山で徳川家康襲撃をくわだてるが失敗し,所領を没収された。元和(げんな)4年11月9日死去。61歳。名ははじめ尊経。通称は大二郎,修理大夫。

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367日誕生日大事典 「多賀谷重経」の解説

多賀谷重経 (たがやしげつね)

生年月日:1558年2月23日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1618年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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