日本歴史地名大系 「夜須川村」の解説
夜須川村
やすがわむら
夜須川上流の山村で、下流にある夜須村の枝郷。東は安芸郡
中世は元可
令
安堵
也、於
御年貢御公事
者任
先例
無
懈怠
可
勤仕
之状如
件」とみえる。建武中興前後の変動が当地に波及し、動揺を押えるために安堵状が発給されたものと思われるが差出人など不明。当時夜須川は東川分で、「京慶名」は天正一六年(一五八八)の大忍庄地検帳に「キヤウケウ」とある。現在の字
連判
歎申上者早可
被
止
彼
」との広瀬鶴若宛・宗浄署名の執達状(蠧簡集木屑)が発せられている。戦国時代に入ると畑山氏の勢力が及び、次いでその本家安芸氏の支配下に入ったが、天文一六年(一五四七)大忍庄が長宗我部氏の支配下に入って以後、しだいにその勢力が伸びてきた。永禄初年には
前記地検帳によると、添地に宗円氏が記される。付近の地のほとんどが「宗円分」とあり、夜須川や東川村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報