日本歴史地名大系 「大井手町」の解説 大井手町おおいでまち 長崎県:長崎市長崎町大井手町[現在地名]長崎市大井手町本紙屋(もとかみや)町の北、中島(なかしま)川右岸にある長崎外(そと)町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ南北に形成され、北は南馬(みなみうま)町に隣接し、本紙屋町間に大井手橋が架かる。中島川は当地で一瀬(いちのせ)川・堂門(どうもん)川が合流することから二股(ふたまた)川とも称され(享和二年長崎絵図など)、水害が絶えなかったが、町名も洪水を防ぐための堰堤を築いていたことに由来するという。寛永一九年(一六四二)当町などの遊女町が丸山(まるやま)町・寄合(よりあい)町に移されたとされる(華蛮交易明細記)。正保四年(一六四七)の外町箇所数帳(柏原家文書)に町名がみえ、箇所数三五。 大井手町おおいでちよう 京都市:東山区粟田口村大井手町東山区三条大橋東入七丁目北側三条通に面して、その北側に位置。東は白川、南は三条通。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「其(五軒町)西、白川ばし西入 大井手町」と位置が示される。承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「大いで丁」とある。寛文一二年(一六七二)洛中洛外大図貼付の符箋は「土居丁」とするが、位置が今小路町と入れ替わっていて、問題を残す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by